8日、シリアの首都ダマスカスで、アサド政権の崩壊を祝う反体制派の兵士ら(AP=共同)
シリアのアサド政権の崩壊を招いたのは、後ろ盾だったロシアとイラン勢力の弱体化が要因だ。ロシアは2022年からのウクライナとの戦闘で疲弊。イランと親イラン民兵組織ヒズボラは昨年10月以降、パレスチナ自治区ガザなどでのイスラエルとの交戦で力をそがれていた。
シリアでは11年に中東民主化運動「アラブの春」が波及し反政府デモが本格化、内戦に突入した。アサド政権は劣勢に立たされたが、ロシアの支援で一気に盛り返した。20年にロシアと、反体制派を支援していたトルコが停戦合意し、戦闘は下火になっていた。
ところが、ロシアのウクライナ侵攻は長期化し、アサド政権を支える余裕は失われた。ガザでの戦闘では、ハマスと共闘するヒズボラは中東最強のイスラエル軍の攻撃にさらされ、大きく力を失った。
今回、反体制派が攻勢に出た11月27日から、わずかな期間での政権崩壊。父の代から半世紀以上続く「アサド家」の統治はあっけない終焉を迎えた。(共同)
レバノン南部で、イスラエル軍との戦闘で死亡したヒズボラ戦闘員の葬儀に参列する男性ら=3日(ゲッティ=共同)
ロシア西部クルスク州でウクライナ軍と戦うロシア兵。11月7日にロシア国防省が公開した(同省提供、AP=共同)
イランのアラグチ外相(左)と会談するシリアのアサド大統領=1日、シリア・ダマスカス(シリア大統領府提供、AP=共同)
8日、シリア中部ホムスで子どもにキスする反体制派の戦闘員(ロイター)
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