日本最西端の沖縄県・与那国島。台湾からわずか110キロの距離にあるこの島は「台湾有事」の懸念に揺れている。
およそ20年前、人々は島を活性化させようと台湾との交流を深め、一つの町として自立して生きていくための計画「自立へのビジョン」を作成した。しかし、台頭する中国を念頭に政府は自衛隊を配備。ミサイル部隊の配備計画のほか、有事に自衛隊などが使う「特定利用空港・港湾」での港の整備と空港の拡張計画も浮上している。
元与那国町職員で町議会議員の田里千代基(たさと・ちよき)氏は、そういった背景に「島が要塞化している」と訴える。住民たちの自立への渇望と、自衛隊配備の国策が交錯してきた与那国島を取材した。
進む自衛隊配備、潰された“自立”
「アジアと結ぶ国境の島として、ビジョンを掲げながらやってきたのに、要塞の島になるのではないかと。激変し、環境が変わってきている」。田里氏は、島の異変を憂える。
与那国・自立へのビジョン
島に自衛隊が配備されたのは2016年のことだった。2010年から町議会議員を務め、自衛隊の動きに厳しい目を向けてきた田里氏の原動力は、役場職員時代に関わった台湾との交流を打ち出したプラン「自立へのビジョン」だ。
2004年に住民投票を経て、周辺の島との市町村合併を拒んだ町民は、単独の島として生きる術をビジョンに記した。戦後間もないころまでは盛んだった台湾との往来を再び活発化させ、国境の島に住民が住み続けることが、平和の維持や国土保全につながると強調した。
町議会議員・田里千代基氏
田里氏は、与那国島が抑止力の現場よりも、アジアとの結節点や緩衝地帯となるべきだと訴える。「自立するために立派なビジョンを作っているのに、すがってはならない自衛隊にすがった。南西地域を安全保障、いわゆる抑止力の最先端として強化していく。ロシア、朝鮮、中国に対する防波堤としていく」。
政府が2010年ごろから進めた先島への自衛隊配備で、2016年に与那国島、2019年には宮古島、そして2023年、石垣島に陸上自衛隊が置かれた。日米が南西諸島を拠点に中国に対抗していく戦略も透けて見える。これには住民から抗議の声も上がっている。「戦争は地獄。愚の骨頂である戦争を、二度と、再び、起こしてはならない」(沖縄戦経験者)。
ミサイル配備、港の建設…軍事強化に懸念の声
与那国町長・糸数健一氏
一方で、与那国町長の糸数健一(いとかず・けんいち)氏は「この島に住む我々は、怖いのは中国だ」と語る。町長就任前には、自衛隊配備を求めるグループのメンバーとして、誘致活動を行ってきた。
「中台間の台湾の有事というのが最近取りざたされている。ギリギリ何とか間に合ったのか。日本政府・国家として、先島・与那国まで守るというメッセージが伝わったかと思う」(糸数氏)
そして島は今、「ミサイルの配備計画」という大きな変化に直面している。配備について防衛省は防御のためとして「反撃能力の配備につながるものではない」と説明したが、住民からは「どんどん増強されて、私たちの生活圏・生活を脅かしている」といった不安の声が上がった。
与那国島・西側一体に軍事用施設が集中
さらに、港の建設計画も浮上している。空港も滑走路を延ばし、有事で軍事利用する特定利用空港・港湾への指定を検討していると見られている。田里氏は、島で軍事強化の動きが加速度的に進んでいる現状に、危惧を抱いている。
「今の緊迫した状態というのが、これから10年、20年、50年も続くのかと。抑止力を高めていくと。そうなると我々の子ども・孫たちはどうするのか。平和的空間を作る、安全を高めるのが政治・行政の仕事。しかし、現在やっていることは逆行している」(田里氏)
住民も「安全のための島づくりじゃなくて、危険を一つずつ積み重ねている。戦争への階段を一歩ずつ上がっているような状況が作り出されている。それ自体が問題」と訴えた。
島の軍事拠点化に懸念も募るなか、糸数氏は絶好の機会として港や空港の整備を国や県に求めている。「何でもかんでも自衛隊の増強、有事だと考えるのではなく50年に1度あるか100年に1度あるかのチャンスだと思っている。インフラ整備ということに関して」。
田里氏の妻・鳴子氏
自衛隊配備問題を巡って、議会でも意見を戦わせる田里氏と糸数氏。そんな二人もかつて、同じ方向を向いていた。「自立ビジョン」の策定当時、糸数氏も農家代表として携わっていたのだ。糸数氏は今も台湾との交流実現について「諦めていない」と断言する。約20年前、市町村合併の議論を経て、自立ビジョンの策定に向かっていく当時の熱気を、田里氏の妻、鳴子氏はこう懐かしむ。「一つになれた。島がね」。
自立を目指した与那国島の姿
元官僚の御園愼一郎(みその・しんいちろう)氏は、およそ20年前、構造改革特区での台湾航路開設を目指していた与那国町とやり取りをしていた。
与那国島周辺(地図)
御園氏は、当時の町長・尾辻吉兼(おつじ・よしかね)氏のことを思い起こして「石垣までの内航航路フェリーがあって、石垣までは120キロ、台湾までは110キロだが、石垣までは行けるのに台湾まではこの船で行かせてもらえないと。これを特区で何とか使えるようにしてくれないかと、尾辻氏が熱い思いを語っていた」と振り返った。
2005年7月、御園氏は与那国島の特区構想の視察のため石垣島を訪れていた。その視察に同行していた尾辻氏は石垣島で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。「尾辻氏が亡くなったのはとてもショックだった。基準に合った船を造ればどちらもいけるのだから、そのための財政支援に話を変えることもフォローしていればできたのかもしれない」(御園氏)
与那国町の自立の取り組みに、コンサルタントとして伴走した上妻毅(こうずま・たけし)氏は、特区での航路開設が認められない中でも、道筋は見えていたと振り返る。「与那国としてやれること項目が明確になったのが、この特区構想だと思う。それをやり続ければよかったのだと今でも思う」(上妻氏)
しかし住民が自立に向けて歩みを進めていた2007年、港に入ってきたのは、台湾からの船ではなくアメリカ海軍の軍艦だった。有事を見据えた軍事化の足音は与那国島にも近づいていたのだ。
上妻氏は自立ビジョンの策定当時「自衛隊の誘致はしない」ことを確認したと明かす。それに反して、2009年ごろから配備の流れが動き出す。町民が進めてきた自立の歩みは、冷や水を浴びせられ力を失っていった。
「自衛隊誘致ということで、他力本願じゃないが、主体性を放棄した。町を挙げて島を挙げて取り組む体制でなくなった。自衛隊問題は町民の間の軋轢や分断、亀裂ばかりになった」(上妻氏)
台湾花蓮市との関係性
田里千代基氏、元花蓮市長・魏木村氏
町職員時代の田里氏は与那国町の姉妹都市、台湾花蓮(かれん)市に置いた事務所で所長を務め、定期航路の実現などに奔走していた。その花蓮市との間では、高速船で与那国と交通を開くアイデアも出てきている。
元花蓮市長の魏木村(ぎ・ぼくそん)氏は花蓮など台湾東部と沖縄の先島地域を一つの生活圏にしたいと考えている。
「台湾は医療制度が充実している。急病人を石垣島より近い台湾に運ぶこともできる。花蓮市と与那国町の密接な提携が進めばその効果は、宮古、八重山地域にも波及する。この流れを進めることは三十数年来の願い」(魏氏)
その台湾では2024年1月13日に総統選挙が行われ、民進党政権の継続が決まった。親米派とされる政権継続に中国が反発し、周辺情勢が緊張しかねないという分析もある。
これに田里氏は「混乱が続くのではないかと。与那国は、国が進めている自衛隊の強化、強硬に出てくるのではないかと。台湾海峡の有事を大義名分として」と与那国への影響を危惧した。
揺れる与那国島、住民の願い
与那国島の住民
住民たちは、これから与那国島をどんな島にしていきたいと願うのか。
「人がまだ少ないので多い島にして、観光客がいっぱい来られるようにしたい」「自治への思いが強く、たくましい島なので、与那国らしさが保たれたまま人が住める場所であってほしい」「海も山もすぐ行ける。夏も朝、夕方と子どもたちと泳いでいる。本当に贅沢です。子育てには最高だと思うが、やはり医療ですね。子どもたちが帰って来たいと思える島を作らないといけない」(住民の声)
国防という大義名分に翻ろうされ続けてきた与那国島。そこに住む人々は、島の未来への思いを今も持ち続けている。
糸数氏は「この島が無人島にならずに我々が住むことがものすごく大きなこと。政府関係者にも自衛隊の増強だけじゃ駄目だと申し上げている。自衛官だけの島にしては駄目ですよと」とバランスの必要性を求めた。
一方で田里氏は「今だけの問題じゃない。これから先、子ども、孫たちのために、今平和を守らないといけない。国に対してブレーキをかけないといけない。これからも強く、訴えていきたい」と自身の思いを語った。
かつて、町民皆でまいた自立の種は、島の大地で今も芽吹くのを待っている。住民の願いが国策に押しつぶされる不条理は、この地だけで起きることではない。
(琉球朝日放送制作 テレメンタリー『潰された自立~与那国島と自衛隊配備』より)
地上波初放送日:2024年2月24日
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