「日本のフォーク」を掘り起こす 夫婦デュオ「紙ふうせん」歌い続けて半世紀

image

今年で結成50周年を迎えた「紙ふうせん」の平山泰代(左)と後藤悦治郎=大阪市浪速区

平山泰代と後藤悦治郎のフォークデュオ「紙ふうせん」が結成50周年を迎えた。「冬が来る前に」などのヒット曲で知られるが、音楽を始めた当初から続けているのが、「竹田の子守唄」など全国各地の伝承歌(民謡)を尋ね歌い継ぐ活動だ。1960年代に米国から上陸したフォークソングという言葉は、元来「民謡」の意。後藤は「日本には日本の民謡がある。まだ埋もれたままの曲を掘り起こしたい」と語る。

昭和45年、ほかの3人のメンバーとともにフォークグループ「赤い鳥」としてデビューした。4年後に夫婦となった平山と後藤は「紙ふうせん」を結成、関西を拠点に活動してきた。

後藤は高校生のとき、米国のフォークを聴いて音楽を好きになった。ただ、米国の歌手にとっての民謡風の音楽と、日本人のそれは違う。「赤い鳥はフォークグループと呼ばれたけれど、(ヒット曲は)フォークでなくJポップ」。日本の民謡に根差してこそのフォークと考えてきた。

「赤い鳥」時代に京都の伝承歌「竹田の子守唄」を発表すると、神奈川の「いかつり唄」や奈良の「紙すき唄」など、現地を訪ねて聴いた歌を編曲し、レパートリーを積み重ねた。音程やリズム、メロディーが合致した伝承歌は、歌えば感情がそのまま乗り、「海外でもスタンディングオベーションを受けた」(後藤)という。

伝承歌には、仕事をしながら口ずさむものが多い。「紙すき唄」は手作業だった紙すきの仕事のタイミングを計るタイマーの役割を担うとともに、「冷たい水仕事のつらさを忘れるためでもあったと思う」と平山は語る。機械化で紙すきの仕事が消えたとしても、「歌の世界でなら、私たちが残していける」と話す。

歌い続けて半世紀。経験を重ねていくうちに心の振れ幅は小さくなり、作曲に乗せられるエネルギーも減った。後藤は「若い頃のように突き上げるものはなく、頭で考えて曲を書いている」と言うが、新たな気づきもある。石垣に咲いたスミレや、ほのかに感じる季節の変化。そういった小さな感動を確認し、共有できる喜びは大きいという。

「老後はそんなもん。若いふりをする必要はない」と話す後藤に、平山もゆったり笑って応じた。(藤井沙織)

紙ふうせんリサイタル~なつかしい未来~Vol.17

10月14日午後6時、兵庫県西宮市の県立芸術文化センター。伝承歌やオリジナルヒット曲、クラシック音楽などを披露。5500円。問い合わせは芸術文化センターチケットオフィス(0798-68-0255)。

コメント