「103万円の壁」撤廃で、進む財政悪化と円安。通貨の信認はある日突然崩壊する!

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黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日本の一般政府債務残高の対GDP比率は、いまや257%(2022年実績見込み)と、先進国の中で断トツの高さにある。しかしながら緩みきった財政規律には回復の兆しはない。国民民主党が政府に要求する「年収103万円の壁」を解消すると、国・地方で7兆~8兆円の税収が減り、さらなる財政悪化は不可避となる。はたして、このような野放図な財政運営で円の信認はいつまで保つことができるのか?

※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。

市場経済は本来、新陳代謝を通じて、生産性の高い企業に人材や資本を集める機能を有している。この機能が十分に発揮されるよう、公的当局の市場への関与を極力減らし、硬直的な規制や慣行を改めることが重要だ。

もちろん、それだけで望ましい社会が実現するわけではないが、市場経済の基本を軽んじてはならない。資本主義と社会主義が対立の構図にあった時代には、資本主義の優位性を強調するために、市場経済の理念が常に意識されていた。しかし、ベルリンの壁の崩壊以降、西側先進国ではその意識が薄れ、各国の潜在成長率の低下もあって、むしろ財政支出の拡大が進んできた。

図表8-1は、第4章で紹介したものの再掲である。ドイツの例外を除けば、2000年前後から、多くの先進国で一般政府債務残高の対GDP比率が大幅に上昇した。経済が成熟段階に入り、人口の増加率も低下傾向にある先進各国にとって、本来潜在成長率の低下は避けがたいものだった。しかし、各国とも過去の高い成長率に囚われ、財政支出の拡大による景気の拡大を図った。

日本も同様だったが、日本ほど財政を拡大した国はほとんどなかった。日本の一般政府債務残高の対GDP比率は、いまや257%(2022年実績見込み)と、先進国の中で断トツの高さにある。そればかりか、拡大のスピードも群を抜く。社会保障費の増大だけでなく、第4章で述べたように、何らかのショックが起きる都度、財源議論を欠いたまま巨額の財政支出を行い、収束後も元の規模に戻らない事態を繰り返してきた。

こうしたプロセスを経て拡大した財政支出が、効率的な資源配分からかけ離れていることは容易に想像がつく。低い生産性の企業が補助金や助成金で存続し続ければ、産業全体として競争の意欲が低下し、イノベーション(技術革新)も起きにくい。人材や資本などのダイナミックな資源の移動も起こりにくい。

そうした財政状況のもとで、日銀も凄まじい勢いでバランスシートを拡大させてきた。資産合計の対名目GDP比率は、2023年度末に127%に達した(図表8-2)。

日本と同様に、新型コロナ対応として量的緩和を行った先進国中央銀行は多かったが、それでも同比率は米国(FRB)35%、欧州(ECB)48%、英国(BOE)50%、カナダ(Bank of Canada)14%にとどまる(図表8-3)。日銀の国債買い入れがいかに特異なものだったかが分かる。これが政府の財政赤字の拡大と無縁だったとは考えにくい。少なくとも、日銀による金利ゼロ近傍での国債の大量買い入れが財政の収支改善の議論を先送りしたことは間違いないだろう。

緩やかな保有国債の圧縮が抱えるリスク

24年3月の異次元緩和の解除後の議論をみると、これまで異次元緩和を批判してきた学者やエコノミストだけでなく、支持してきた学者やエコノミストの中にも、今後の日銀の課題は保有国債の圧縮とする者は多い。同時に、市場の混乱を引き起こさずに保有国債の圧縮を行うことが重要とも指摘する。もっともな議論だが、ここまで伸びきった日銀のバランスシートと、緩みきった財政規律を踏まえると、どれほど時間をかけてよいかは悩ましい。

保有国債の緩やかな圧縮を図る際の懸念は2つある。第1は、今後、景気の悪化や何らかの経済ショックが起きる度、再び政治から国債買い入れを迫られる懸念である。時間をかけて保有国債残高の圧縮を進めたとしても、いずれは景気の後退局面が来る。何らかの経済ショックが起きる。実際、近年は、10年に一度に満たない頻度で、大規模な社会経済ショックに見舞われた。ショックは、地政学リスクの表面化かもしれないし、自然災害かもしれない。

過去の実績にしたがえば、その際には、緊急時対応として巨額の財政支出が行われるだろう。そうなったときに、政治の世界から日銀に対して「異次元緩和時にやった国債の大量買い入れを再開してほしい」あるいは「なぜ再開できないのか」という声があがる可能性は高い。そのようなときに、日銀は超然としていられるだろうか。

もしその時点で国債の大量買い入れを再開すれば、結局、保有国債残高はほとんど減らず、むしろ今後も積み上がる可能性が出てくるだろう。中央銀行が懸念するのは、最終的には高インフレだが、当初からインフレが表面化するわけではない。景気の後退や社会経済的なショックが生じる際は、当初は景気の悪化から物価も低迷し、異次元緩和の再開が主張される環境になりやすい。しかし、その繰り返しの中で日銀の国債保有が増え続ければ、いずれどこかの時点で国や通貨に対する信認が失われ、高インフレが起きる。

通貨に対する信認は、心理的な要素によるところが大きく、ある閾値いき ち(しきい値)を超えた時点で突如崩壊する性格のものである。信認が崩壊すれば、円相場は急落し、物価は高騰する。いったん崩れた信認はなかなか取り戻せず、インフレも容易には収まらない。

異次元緩和の最大の禍根は、財政赤字をほぼ丸吞みする国債の大量買い入れを続けたために、政治や社会からいつでも「日銀がまた国債を買えばいいし、できないはずがない」との誤解(または認識)を与えたことにある。安倍晋三元首相が主張した「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」に近い姿を、結果的に体現することになった。

「緩やかな保有国債の圧縮」→「景気の後退、社会経済ショックの発生」→「国債買い入れ増額の再開」→「保有国債の増加」→「緩やかな保有国債の圧縮」……、という負のサイクルから抜け出すには、財政ファイナンス酷似の買い入れがいかに日本経済にとって危ういものであるかを、政治や社会に理解してもらう必要がある。これが植田日銀にとって最大の課題となる。

本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。

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