日本史には多くの謎が存在しますが、特に未解明の事件として有名な2つを紹介します。
これらの事件には数々の疑問が残されており、多くの人々の関心を引き続けています。
歴史の闇に隠された真実とは一体何なのでしょうか?
坂本龍馬暗殺事件
坂本龍馬は幕末の土佐藩士であり、日本の近代化に大きく貢献した人物です。
彼は倒幕運動を支援し、薩摩と長州の関係改善に尽力するなど、その知性と人格で多くの人々を魅了しました。
しかし、1867年に近江屋で襲撃を受け命を落とすという悲劇に見舞われます。
この暗殺事件は日本史上でも有数の謎多き事件として知られています。
事件当日、坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋の二階で話をしていると、突然数名の武士が訪ねてきました。
来訪者は階下で取次ぎをした坂本龍馬の家来を切り捨てた後、二階へ急襲し、座っていた2人を切りつけました。
坂本龍馬は応戦を試みましたが、最終的には頭部に致命傷を受けてしまいました。
同席していた中岡も重傷を負い、刺客たちは2人が動かなくなるのを見届けて立ち去りました。
この事件の犯人は未だに判明していません。
中岡は犯人を、「人を散々切っている新選組のものだろう」と推測し、土佐藩関係者もまた「多分、新選組の仕業だろう」と記しています。
新選組は幕府の組織であり、志士を取り締まる役割を持っていたため、疑われたのです。
しかし、新選組の関与は近藤勇により否認され、調査はうやむやに終わってしまいます。
さらに、他にも犯人候補は多く存在します。
紀州藩や京都見廻組、さらには薩摩藩など、様々な説が流れましたが、いまだにどれが正しいのかは不明です。
最も有力視されているのは「京都見廻組が犯人だ」とする説で、これは、京都見廻組隊士であった今井信郎が実行犯であると自供しています。
しかし、彼の証言には不自然な点が多く、信憑性に疑問が残っています。
さらに、この事件には「黒幕がいる」という説もあり、幕府や薩摩藩が関与していたのではないかと考えられています。
伊藤博文の暗殺
出典|Wikipedia|右から大久保利通、伊藤、岩倉具視、山口尚芳、木戸孝允
伊藤博文は明治時代に活躍した日本の政治家で、初代内閣総理大臣を務めた人物です。
彼は日本の近代化に大きく貢献し、憲法の制定などの功績を残しました。
しかし、1909年に中国のハルビン駅で、ロシア兵や要人らと握手を交わしている際に、群衆に紛れた犯人から近距離で発砲され暗殺されるという悲劇に見舞われました。
暗殺犯は朝鮮独立家の「安重根」であり、彼は韓国独立と東洋平和を目的に犯行に及んだと供述しました。
しかし、伊藤博文は実は日韓併合に対して消極的であり、韓国を保護国とすることで独立を支援しようと考えていました。
そのため、安重根の動機には疑問が残ります。
さらに、伊藤博文の体から摘出された致命傷の銃弾は、安重根が使用した拳銃のものではなく、フランス騎馬隊が使用していたカービン銃の弾だったのです。
また、現場にいた同行者からは「2階から狙撃した人物を見た」という目撃情報もあり、安重根以外にも協力者がいたのではないかと疑われています。
当時、現場にいたロシア関係者に全く被害が及ばなかったこと、ロシア側が伊藤博文にホームでの閲兵を願い出たことから、ロシアの陰謀・報復だとする説や、日韓併合強硬派や右翼勢力が黒幕だとする説などがあり、真実は未だに明らかにされていません。
伊藤博文の暗殺が単独犯行だったのか、背後に黒幕がいたのかは未だ謎のままです。
まとめ
坂本龍馬と伊藤博文の暗殺事件は、日本史の中でも特に謎が多く、今なお多くの人々の関心を引き続けています。
これらの事件は、単なる個人の暗殺ではなく、当時の政治的背景や勢力争いが関与している可能性が高いのです。
歴史の闇に隠された真実を解明するには、さらなる調査と研究が必要です。
読者の皆さんも、自分なりにこれらの事件について考え、歴史の謎に挑んでみてくださいね。
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