【独自】「私はあの日の運転席にいた」地下鉄サリン事件から30年後の告白…客を搬送後に自身も被害に 運転士が語るオウムへの憤り【後編】

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地下鉄サリン事件から30年

地下鉄構内で、うぐいす色の制服の内側は汗ばんでいた。
担架代わりに電車内の座席を外し、痙攣して倒れた乗客を乗せた。話しかけても反応はない。
そばにいた駅員に声を掛け、協力して持ち上げ、一目散に出口へと向かった。地上へと続く数十段の階段が長く感じ、もどかしかった。
登り切った先に広がった光景に、言葉を失った。

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築地本願寺駅前は野戦病院のような状況に 

1995年3月20日

築地本願寺前の広い都道には、数え切れない人が倒れたり座り込んだりしていた。救急車や消防車のランプが明滅し、救急隊員が人々の隙間をぬうように走り回っていた。

言葉が出なかった。でも、まだやるべきことがあった。きびすを返し、再び階段を駆け降りていった――。

突如押された「非常通報ボタン」

1995年3月20日は、天気の良い朝だった。

帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京メトロ)日比谷線の運転士、園田直紀(当時30・仮名)は両親と弟妹と暮らす実家を早朝に出て、電車で職場のある南千住駅へ向かった。

幼い頃から憧れていた運転士になって9年目。職場で、うぐいす色の制服に袖を通すと身が引き締まった。

その日の業務は、北千住―中目黒駅間を結ぶ日比谷線を3往復する予定だった。午前7時40分ごろに北千住駅で乗務開始。いつも通りの一日が始まる、と思っていた。

異変は、その直後に起こった。

午前8時ごろ、運転席の運転台にある赤いランプが点り、警報音が鳴った。
第3車両で非常通報ボタンが押されたことを示していた。

「体調不良の乗客でも出たのだろうか」

8両編成の電車の最後尾にいた車掌と無線で通信し、指令所に報告を入れてもらった。

指令所からは、次の停車駅の築地駅で停車するよう指示された。車掌と話し合い、第3車両に比較的近かった自身が様子を見に行くことになった。

意識を失い、痙攣する乗客ら

「やけに人が少ないな」

通勤ラッシュの時間帯なのに、ホームにはほとんど人がいなかった。いつもなら乗客がひしめいているはず。運転席を出ると、違和感を覚えつつ、小走りでホームを走った。

第3車両の最寄りの入り口に飛び込むと、乗客は2人のみだった。

入り口のすぐ正面の座席で、男性が天を仰ぐように座っていた。
「どうされましたか」
応答はない。かすかに痙攣し、口元に唾液が泡のように固まっているのが見えた。

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サリンを吸った乗客が次々に倒れていった 1995年3月20日

車両の中ほどに座っていた、もう一人の男性客も同じ状況だった。

すぐさま、何か異常事態が発生していると察した。

立ったまま意識不明の乗客

辺りを見渡すと、車両の中央付近には、直径約1メートルの水たまりができていた。そばに近寄って嗅ぐと、シンナーのような刺激臭を感じた。乗客が開けたのだろうか、寒い時期なのに窓が全て開いていることにも違和感を覚えた。

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当時の乗客のスケッチ 新聞紙から液体のサリンが漏れ出てきていた

「指令所に報告しなければ」

そう思い、運転席に向かうため車両から出ると、ホームに残っていた乗客に声をかけられた。

「隣の2号車にも苦しんでいる人がいます」

すぐそばの扉から2号車に入ると、コートを着た男性が握り棒を持ち、うつむいて立っていることに気づいた。声を掛けたが、反応はない。握り棒から指を剥がそうと思ったが、力が強く微動だにしなかった。

大変なことが起きている――。

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駅構内では乗客が次々に倒れていった 1995年3月20日

異常を聞きつけ走ってきた駅員らに、乗客の避難と救急車を要請するよう伝え、自身は運転席へと急いだ。

運転席で、指令所へと無線を入れようとした。各駅から通報が相次いでいるためか、本来であれば他の無線交信に先んじて、指令所とつながるはずの「緊急通話」を用いても、なかなか交信できない。

非常用の携帯無線に切り替えて、やっと指令所に繋がった。

無線音声に残っていた本人の肉声

FNNが新たに独自入手した事件当時の営団地下鉄での無線音声には、何度も「指令所」と呼びかける本人の声が残っていた。

園田「築地20Sです、指令所」
指令員「でてますよ」
園田「指令所」
指令員「指令所でてますよ」
園田「築地20S、指令所」
指令員「はい20S」
園田「今、携帯電話で掛けています。あっ携帯無線で掛けています」
指令員「ちょっと聞き取りにくいから、車内で話してくれる?」
園田「車内で、なんか薬品がでてますので、お客さんをホームから出しました」
指令員「ちょっと聞き取りにくいね」

携帯無線の電波は悪かった。うまくいかない交信に焦りがつのった。

そんな中、反対ホームに電車が滑り込んでくるのが見えた。即座に運転席を飛び出し、反対ホームへと階段を飛ばし飛ばし走り、その電車の車掌室に飛び込んだ。

「無線を貸して下さい!」

息を切らせながら、無線機を受け取った。

園田「築地20です」
指令員「築地の20S?」
園田「はい。第3車両で、薬品がもれたらしい」
指令員「薬品の臭い?」
《中略》
指令員「もしもし」
園田「急病人が5人くらいいましたけど、救急車要請しましたので」
指令員「救急車要請?」
園田「はい」

倒れた乗客を地上へ

報告後、再び元いたホームへと走った。ホームには乗客数人が倒れており、駅員が地上へと運び出そうとしていた。急病人を搬送する担架は数が足りず、「座席を外したら担架代わりになる」と呼びかけた。

駅員と協力し、取り外した座席シートに乗客を乗せ、「もうすぐですよ」「大丈夫ですよ」と声を掛けながら地上へ向かった。

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地下鉄の外には消防の巨大なテントが立てられることもあった 1995年3月20日

地上への数十段の階段は、途方もなく長く感じた。

地上に躍り出て、息を吞んだ。

築地本願寺前の片側3車線の都道には大勢の人が倒れ、救急隊員が走り回っていた。

乗客をそばに横たえ、救急隊員に託した後、すぐにきびすを返した。
まだホームには意識のない乗客がいた。

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意識のない乗客が次々と運び出された 1995年3月20日

再度、乗客を運び上げると、再びホームへ。非常時には、乗客が避難したかどうかの確認を最優先するよう教わっていた。ホーム全体を確認後、いつでも車両を移動させられるように運転席へと向かった。

突如襲った強いめまい

異変を感じたのは、運転席に座った時だった。

突然、吐き気がこみ上げ、強いめまいに襲われた。運転席で無線を手に取ると、乗客を全員避難させたことを伝えるとともに、自身の異変も報告した。

園田「お客様全員救出しました 」
指令員「お客様全員出してくれました?」
園田「はい、出しました 」
指令員「はい、ごくろうさま」
園田「すごい気持ち悪いです」
指令員「え?」
園田「すごい気持ち悪いです」
指令員「乗務員が気持ち悪い?」
園田「はい 」
指令員「ああそうですか、大丈夫ですか?」
園田「大丈夫」

直後に指令所から避難指示が出て、階段を上り始めた。視界は狭まり、足はよろめいた。

向かった先は築地本願寺の境内。同じうぐいす色の制服を着た同僚たちが集まっていた。

すぐに立っていられなくなった。周囲を見渡す余裕もなかった。
思わず座り込んだところに、同僚が声をかけてきた。

「大丈夫か?」

どうやって返答したのかは覚えていない。意識は遠のき、そのまま倒れ込んだ。

約3カ月続いた後遺症

目覚めたのは、約9時間後の午後6時ごろ。現場からほど近い病院の病室だった。窓の外は既に暗くなっていた。

化学物質がサリンと特定され解毒薬の「PAM」投与が始まった
化学物質がサリンと特定され解毒薬の「PAM」投与が始まった

ベッドのすぐそばには家族が立っていた。息苦しさが残り、人工呼吸器も装着されていたが、その後、サリンの解毒剤「PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)」を投与され、症状は落ち着いた。

そんな中で、母がしきりに目元の涙を拭っていたことを、今でも覚えている。

4日後に退院したものの、後遺症が残った。

実家に戻ると、部屋の中が暗くなっているように感じた。サリンの影響で、瞳孔が縮む「縮瞳」の影響だった。症状は約3ヶ月続き、その間は電車の運転業務もできず、歯がゆい思いをした。

その後、運転士に復帰。事件の数年後からは指令員などを歴任してきた。

「許せない」今も抱えるオウムへの怒り

あの日から今年で30年。定年まであと1年弱を迎える中、自ら希望して再び運転席に座っている。

事件の記憶も薄れ、同僚の中には、自身があの日の運転士だったことを知らない人も多い。

しかし、自らは毎年3月20日に慰霊式の報道を見る度、あの日のことをまざまざと思い出す。
事件では大勢の乗客のみならず、同じうぐいす色の制服を着た仲間2人も犠牲になった。

事件当日は、粛々と乗務員としての業務をこなしたという印象しかないという。

オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚
オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚

しかし取材の最後に、記者がオウム真理教への思いを尋ねると、しばらく考えた末に、こう絞り出した。

「見ず知らずの人をこれだけ大勢巻き込んだ。今でも許せない」

それまで柔和だった表情が一転、怒りを押し殺すかのように硬くなった。

(敬称略)

松岡 紳顕

松岡 紳顕

フジテレビ報道局社会部記者
1991年生まれ、福岡県とカナダ育ち。慶應義塾大学法学部を卒業後、2015年に全国紙に入社。知能犯罪や反社会的勢力、宗教2世問題、農水省、宮内庁などを担当。2023年秋よりフジテレビ社会部で司法担当記者として、汚職関係を取材しています。趣味は冬山登山です。
不正を働く公務員や議員、権力者の情報提供をお待ちしております。

地下鉄サリン事件から30年

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