【料理評論家・服部幸應さん 78歳 「料理の鉄人」解説者】
料理評論家の服部幸應さんが10月に亡くなった。78歳だった。
料理評論家として知られる服部幸應さん(78)が10月4日、東京都内の専門学校で倒れ、急性心不全のため搬送先の病院で5日亡くなった。78歳だった。
関係者によると、服部幸應さんは4日夕方、自身が校長と理事長を務める東京・渋谷区の専門学校で突然気を失って倒れ病院に搬送されたという。
服部さんは1977年に服部栄養専門学校の校長に就任し、料理人の育成に尽力してきたほか、フジテレビの「料理の鉄人」や多くのテレビ番組に出演するなど、様々な分野で活躍していた。
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【俳優・西田敏行さん 76歳 「釣りバカ日誌」ハマちゃん】
俳優の西田敏行さんが10月に亡くなった。76歳だった。
西田さんは10月17日午後0時半頃、東京・世田谷区の自宅で亡くなっているのが見つかった。
警視庁によると、西田さんの関係者の男性から「ベッドで冷たくなっている」と110番通報があり、その後、死亡が確認されたということだ。西田さんには、既往症があり、病死とみられている。
西田さんは1947年福島県郡山市出身。明治大学進学後に中退し、1970年に劇団青年座に入団。同年「情痴」で初舞台を踏み、1971年には舞台「写楽考」初主演を務めた。
その後、舞台、テレビ、映画など多数に出演し、日本を代表する俳優となった。日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞は、1989年の映画「敦煌」、1994年の「学校」で受賞。釣りバカ日誌シリーズでは主人公の「ハマちゃん」を演じた他、北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」で巨大ヤクザ組織の幹部を演じた。
また、歌手としても1981年に「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットしたほか、バラエティー番組でも活躍した。
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【児童文学作家・中川李枝子さん 89歳 絵本「ぐりとぐら」】
児童文学作家の中川李枝子さんが10月に亡くなった。89歳だった。
絵本「ぐりとぐら」「いやいやえん」などで知られる児童文学作家の中川李枝子さんが10月14日に老衰で亡くなった。89歳だった。
中川さんは1935年北海道札幌市生まれ。保育園に勤務しながら創作活動を始め、1962年に出版された童話「いやいやえん」が厚生大臣賞・サンケイ児童文化賞などを受賞した。
1967年には、その後大人気シリーズとなる「ぐりとぐら」を出版。料理が大好きな2匹の野ねずみ「ぐり」と「ぐら」が、大きな卵でカステラを焼き、森の動物たちと一緒に食べるストーリーで、続編も人気となった。
その他にも「そらいろのたね」など、世代を超えて読み継がれる様々な絵本を世に出してきた。
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【漫画家・楳図かずおさん 88歳 「グワシ」のまことちゃん】
漫画家の楳図かずおさんが10月に亡くなった。88歳だった。
「まことちゃん」などで知られる漫画家の楳図かずおさんが10月28日に東京都内で亡くなった。88歳だった。
楳図さんは1936年和歌山県高野山生まれ。小学4年で漫画を描き始め、高校3年で「別世界」「森の兄妹」を単行本で出版しデビュー。その後「へび少女」や「猫目小僧」をヒットさせ、「ホラー漫画の神様」と呼ばれるようになった。
その一方、「まことちゃん」で逆の才能も発揮し、作中に登場する「グワシ」は誰もが一度は真似たことがあるほど有名なギャグとなった。さらに、「わたしは真吾」「神の左手悪魔の右手」「14歳」など数々のヒット作を生み出した。またタレントや歌手としても活動し、お茶の間にも親しまれた。
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【音楽家・クインシー・ジョーンズさん 91歳 グラミー賞27回受賞】
アメリカの音楽界の巨匠クインシー・ジョーンズさんが11月に亡くなった。91歳だった。
アメリカの音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズさんが11月3日、ロサンゼルスの自宅で亡くなった。91歳だった。
クインシーさんは、史上最も売れたアルバムとしてギネス記録に認定されたマイケル・ジャクソンさんの「スリラー」の他、チャリティー曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」などのプロデュースを手がけた。
トランペット奏者でもあり、作曲家、プロデューサーなど活動は多岐にわたり、グラミー賞を27回受賞するなど、アメリカの音楽界に大きな影響を与えた1人だった。
【大相撲・北の富士勝昭さん 82歳 角界のご意見番】
元横綱・北の富士さんが11月に亡くなった。82歳だった。
大相撲の第52代横綱で、歯に衣着せぬ辛口解説でも人気を博した北の富士さんが11月12日に亡くなった。82歳だった。
北海道出身の北の冨士さんは、1970年に横綱に昇進。ライバルの玉の海と何度も名勝負を繰り広げ、通算10度の幕内優勝を果たした。
引退後は親方として後進の指導にあたり、「ウルフ」こと千代の富士、現八角理事長の北勝海と2人の横綱を育てた。
相撲協会を退職した後も、歯に衣着せぬ解説で角界を盛り上げてきたが、ここ最近体調を崩し、82歳で亡くなった。
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【詩人・谷川俊太郎さん 92歳 数多くの校歌を作詞】
詩人の谷川俊太郎さんが11月に亡くなった。92歳だった。
戦後日本を代表する詩人の谷川俊太郎さんが11月13日に老衰のため東京都内の病院で亡くなった。92歳だった。
1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校を卒業した後の1952年に詩集「二十億光年の孤独」を発表し、デビューした。
絵本作家や翻訳家としても活躍し、スヌーピーが人気の漫画「ピーナッツ」や、教科書にも載った「スイミー」の翻訳も務め、多くの人に親しまれた。
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【俳優・火野正平さん 75歳 元祖プレイボーイ】
俳優の火野正平さんが11月に亡くなった。75歳だった。
芸能界きってのプレイボーイと言われた俳優・火野正平さんが11月14日に亡くなった。75歳だった。
所属事務所によると火野さんは4月から持病の腰痛の治療に励んでいたが、夏に腰を骨折したのを機に体調を崩したという。
火野さんは1949年生まれ。1961年に劇団「こまどり」に入団すると、子役として1962年にフジテレビのドラマ「少年探偵団」などに出演した。
1973年にNHKの大河ドラマ「国盗り物語」に豊臣秀吉役で出演するとブレイクし、1974年には『俺の血は他人の血』に主演して、映画デビューを果たした。
『必殺シリーズ』『長七郎江戸日記』、2時間ドラマ「混浴露天風呂連続殺人」シリーズなどテレビ、映画に多数出演した。
また歌手としても活動し、2023年1月には、14年ぶりとなる新曲を発表。全国5カ所でツアーを開催すると発表した会見では、かつて芸能界きってのプレイボーイと言われ、プレイボーイの代名詞として「火野正平」の名が使われている事について、「いろいろいたね。ジャイアンツにもいたよ。若い俳優からは、『僕は静岡の三島の中学の火野正平と呼ばれていました』と言われたことがあるよ」とユーモアたっぷりに語っていた。
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【歌手・俳優・中山美穂さん 54歳 人気作「Love Letter」】
歌手で俳優の中山美穂さん(54)が12月に亡くなった。54歳だった。
12月6日正午過ぎ、東京・渋谷区の自宅で、歌手で俳優の中山美穂さんが亡くなっているのが見つかった。54歳だった。
中山さんが待ち合わせに来なかったため事務所の関係者が自宅を訪れたところ、浴槽内で倒れている中山さんを発見し、その後、駆けつけた医師によりその場で死亡が確認された。
中山美穂さんの所属事務所は、検死の結果について「事件性はないことが確認されました。また、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものと判明しました」と報告した。
状況などから、浴室に入った際に急激な温度変化により体に悪影響をもたらす「ヒートショック」や 何らかの理由で浴槽で溺れた可能性もあるという。
中山さんは1970年東京都出身。1985年にシングル「C」で歌手デビューし、日本レコード大賞最優秀新人賞などを受賞。またドラマ『毎度おさわがせします』でも注目を集めた。
以降、歌手・俳優として様々なジャンルで活躍し一時代を築いた。
1991年のシングル「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)や、「ただ泣きたくなるの」(94年)は大ヒットし、今でもカラオケの定番になっている。
映画『Love Letter』(1995年)で『第38回ブルーリボン賞』主演女優賞を受賞。日本のみならず、韓国でも大ヒットした。
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【司会者・小倉智昭さん 77歳 がん闘病も発信続け…】
司会者の小倉智昭さんが12月に亡くなった。77歳だった。
フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』などでキャスターとして活躍した小倉智昭さんが12月9日に亡くなった。77歳だった。
1947年に秋田市で生まれた小倉さんは、1970年に現在のテレビ東京に入社。1976年からはフリーアナウンサーとなり、数々のテレビ・ラジオ番組を担当した。
1999年4月にスタートした『とくダネ!』では、「おはようございます!」の挨拶の後に始まるオープニングトークが話題に。
2016年には膀胱がんを患ったことを公表。2018年に膀胱全摘手術を受けたが復帰し、2021年3月まで22年にわたり『とくダネ!』のメインキャスターを務めた。同一司会者による全国ネットのニュース情報番組の放送回数最多記録だった。
2021年10月には、以前手術を受けた膀胱がんが肺に転移したことを公表。2023年には腎盂がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けた。闘病生活を送りながらテレビやラジオに出演を続けていたが、9日の午後に息を引き取ったという。
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【読売新聞主筆・渡辺恒雄さん 98歳 「言論界のドン」】
読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆が12月に亡くなった。98歳だった。
読売新聞社によると、19日の午前2時に肺炎のため都内の病院で亡くなったという。
渡辺恒雄主筆は1926年に東京で生まれ、50年に読売新聞社に入社、ワシントン支局長や政治部長などを経て、85年に主筆、91年に代表取締役社長に就任していた。
その後、読売新聞グループの舵取りにあたってきた他、政界や言論界に影響力を持ち、プロ野球・巨人のオーナーに就任、大相撲の横綱審議委員を務めるなど、スポーツ界にも貢献した。
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(FNNプライムオンライン編集部)
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