歴史でひもとく国際情勢
ロシア国内の世論調査では、ウクライナ侵攻後もプーチン大統領への支持率が7〜8割と高い水準で推移し、2024年3月の大統領選挙でも87%余の支持を得て再選している。なぜ、ロシア国民はプーチンを支持するのか? 反戦的な言論に対する圧力やプロパガンダの影響も指摘はされるが、一方でプーチンへの信頼感から彼を選ぶ国民も多い。ここでは、歴史的な経緯からプーチンが支持される理由について考えてみたい。
■なぜ、ロシア人はプーチンを選び続けるのか?
2025年2月24日、ウクライナ戦争が始まってから丸3年が経ちました。
戦線は膠着状態にありつつ、両軍とも打開策に欠けている状況です。今後も消耗戦が続いてくのか、米国の「仲介」でなんらかの政治的妥協がなされるのか、今はわかりません。
ロシアはウクライナに軍事侵攻したことで、米国と欧州からの激しい反発にあい、日本を含む国際社会からの経済制裁・金融制裁を受けています。ロシアでは欧米のブランド品が好まれるのですが、直接入手することが叶わなくなりました。そして当然、長引く戦争により死傷する兵士も増え続けています。
それでもロシア国民はプーチン大統領を支持しています。2024年3月の大統領選挙では、プーチン大統領が87%余の支持を得て再選しました。無謀な戦争に国民を巻き込んだプーチン大統領が国民に支持される理由が、私たち日本人にはピンと来ません。
なぜロシア人はプーチンを選び続けるのか? さまざまな要因がありますが、その一端をソ連解体以降の歴史に垣間見ることができます。
■家族全員ホームレスも… ソ連解体後、混乱したロシア社会
時代は1991年12月にまでさかのぼります。社会主義国家の領袖として自由主義陣営の米国と対峙してきたソビエト連邦が解体し、ロシアを含む15の独立共和国に分裂しました。
新たなスタートをきったロシアでしたが、社会は大混乱となりました。社会主義体制では食料品などの消費財は低い価格に固定されていましたが、市場メカニズムを導入したことで急速に上昇。ハイパーインフレに陥り、庶民は生活苦にあえぐことになります。
食べ物を買うために家を売り、家族全員ホームレスになって寒さで凍え死ぬといった悲劇があちこちで見られました。男性のアルコール中毒者が急増し、平均寿命すら低下する有様でした。
一方、民営化されたソ連時代の国有企業を有力者が買い上げ、「オリガルヒ」と呼ばれる新興資本家が誕生しました。彼らはテレビ局や新聞などのマスメディアを支配下におき、財界のみならず政界にも影響力を及ぼし始めていきます。経済格差は急速に拡大しました。
初代大統領のエリツィンはこの混乱する社会を安定させることができず、さらなる改革を求める勢力と、ソ連時代の制度を一部復活させることを目指す勢力がぶつかり、政治は停滞します。
このような社会不安に追い討ちをかけたのが、チェチェン問題です。
■第1次チェチェン紛争の停戦後、ロシア国内でテロが頻発
ソ連解体の時期、北コーカサスにあるチェチェンはロシアからの分離独立を目指しましたが、実現しませんでした。しかし、長年に渡りロシアから弾圧を受けてきたチェチェン人にとって、ロシアからの独立は悲願でした。チェチェン人武装勢力は軍事力強化を進め、経済不安により弱体化したロシア軍は手出しできなくなり、チェチェンは半独立状態となっていきます。
チェチェンは石油が豊富にとれる場所で、チェチェンは西側諸国との連携を深めていきました。しかしロシアは自らの「勢力圏」内に親欧米国が生まれることを許さず、1994年、ロシア軍がチェチェンの中心都市グロズノイを襲撃。第一次チェチェン紛争が始まります。
この戦争では、山岳地帯に逃げたチェチェン兵のゲリラ戦により、ロシア軍は苦しめられ退却に追い込まれました。事実上の敗北です。
しかし勝利したチェチェンのほうも、インフラが破壊され、ロシア軍が使用した生物化学兵器によって農業すらできなくなりました。また、紛争時に銃が広く普及し、戦後も人々はそれを手放そうとしなかったため、治安が極度に悪化していきます。
金を稼ぐために男たちは外国人を拉致して身代金をせしめるようになりました。困窮する社会の中でイスラム原理主義が人気を集め、1999年2月にはチェチェンはイスラム主義国家化します。
ロシア国内ではチェチェン人によるテロが頻発し、社会不安がさらに広がっていきます。そんな混乱の最中に登場したのがプーチンでした。
■テロ勢力を掃討、さらにエネルギー価格高騰で好景気に
1999年、プーチンはテロ一掃を掲げ、ロシア軍をチェチェンに派遣します。第二次チェチェン紛争の始まりです。全土を掌握するため、ロシア軍は住民虐殺や村の破壊などを含む徹底的な「掃討作戦」を実施しました。
10年に及ぶ戦争で、チェチェンは完全にロシア軍の支配下に置かれました。徹底的な情報封鎖により、この戦争の犠牲者がどれくらいか、現在も分かっていません。一説によると20万人以上とも言われています。
テロリストの徹底的な取り締まりは、ロシア人に安心感をもたらしました。強いロシアが戻ってきた、と自信を回復させた国民も多かったことでしょう。
さらに、タイミング良く国際的な資源価格が高騰し、2000年代のロシアは好景気に沸きました。当時は欧米からの投資も盛んで、都市のインフラや行政サービスも改善していきます。普通のロシア人は「プーチンになってから急激に国がよくなった」という感覚を抱いたのです。
ところが、リーマンショックの影響を受け、国際的な石油価格は2008年7月を頂点に大暴落します。欧米や日本からの投資も潮が引くように去り、ロシア経済は低迷します。
■「90年代に戻りたくない」という不安から、プーチンを消極的に支持
景気が停滞する中でも、プーチンは国民から高い支持を受け続けています。その背景にあるのが、ソ連崩壊後の混乱した社会情勢の記憶です。「二度とあんなひどい社会になってほしくない」というのがロシア国民の共通した願いです。
とはいえ、プーチンが国民に「絶対的な支持」を得られているというわけではないと思われます。どちらかというと「消極的支持」。政治が不安定化し、外国に好きなようにやられる90年代のような地獄が訪れるのであれば、多少不満はあるけど、安定したプーチン政権のほうがまだマシ。大成功はしないけど大失敗もしない、「安定」をロシア人は望んでいるというわけです。
ウクライナ戦争によって仮にプーチンが失脚でもしてしまったら、確実にロシア政治は不安定化するし、欧米による政治的・経済的な干渉を受け、どんなひどい目に遭わされるか分からないという恐怖心。それがロシア人のプーチン支持の重要な要素になっているのではないかと、歴史から推察されます。
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