明治維新の際の戊辰戦争で激戦地となった福島県会津若松市。敵として戦った薩摩などのいわゆる「西軍」の兵士たちの墓を地元の人たちが守り続けているというニュースを6月にお伝えしました。
その墓地で慰霊祭が行われ、鹿児島県関係者も初めて参加しました。
会津若松市を西郷隆盛の顕彰などに取り組む「薩摩士魂の会」のメンバーらが訪れました。手を合わせた墓石に刻まれていたのは、「薩藩」=薩摩藩の文字です。
1868年、会津で行われた戦いは戊辰戦争の一連の戦いの中でも特に激しかったといわれています。白虎隊の悲劇でも知られるように多くの命が失われました。
「西軍墓地」に眠るのは、薩摩藩の33人を含むおよそ150人の西軍の兵士たち。その多くが10代や20代の若者です。
墓地は一時は荒れ果てていたものの、見かねた地元有志が1950年代に整備し直し、今も隣にあるとうみょう子ども園の園児や保護者の協力も得ながら、守り続けています。
そして、毎年10月23日に慰霊祭を執り行っていて、今年で71回を数えました。
(西軍墳墓史跡保存会 山田悦史会長)
「敵味方で戦ったとはいえ、それぞれ大義を背負っての戦い。亡くなられたからにはねんごろに弔うのが人間としての扱い」
「故郷に帰れなくて残念だったと思う。寒い土地ですが、この地でゆっくり安らかにお眠りくださいという気持ち」
しかし、こうした会津での活動は、鹿児島ではほとんど知られていません。
会によればこれまで、山口県関係者による慰霊祭への参加はあったものの、鹿児島県関係者の参加はありませんでした。それが今回、鹿児島県東京事務所の職員も、薩摩士魂の会のメンバーらとともに初めて参加したのです。
(とうみょう子ども園 中村とし子事務長)「今回、来ていただいて知って頂いて本当にありがたい。長くやってきてよかったと思っています」
きっかけとなったのが、姶良市出身で現在は千葉に住む亀澤宣秀さんです。
(亀澤宣秀さん)「33人が薩摩の方なんですよ。それがこちらに葬られているんですよ。2000キロ離れているんですよ。びっくりですよね。私、これを見たとき、本当に感激しました」
亀澤さんは7年前に西軍墓地を訪れたことはあったものの、地元の活動については去年、再び訪れた際に初めて知ったといいます。感銘を受けて、多くの鹿児島の関係者に呼びかけ、慰霊祭への初めての参加を実現させました。
(薩摩士魂の会 竹之内雄作副会長)「会津の方々が敵方・薩摩藩士をこのように丁寧にお墓を守っていただけるということ自体が非常に感動するし、感謝する」
(慰霊祭参加を呼びかけ 亀澤宣秀さん・姶良市出身)「もう感謝しかない。会津は敵国というイメージで我々の代は聞いていたが、そんなことはないと。ぜひ皆さんに一度は来ていただきたい」
初めて鹿児島県関係者も出席して行われた慰霊祭。鹿児島・会津、双方にとって、かつての敵・味方を超えた新たな関係を築くきっかけになったかもしれません。
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