大相撲の元横綱で、幕内で10回の優勝を果たし、NHKの大相撲中継の解説者としても長年、活躍した北の富士勝昭さんが、11月12日、病気の療養中だった都内の病院で亡くなりました。82歳でした。
記事後半では、弟子の八角理事長や絶妙なかけ合いを見せていた舞の海さんなど各界関係者からの悼む声もお伝えしています。
元横綱 北の富士勝昭さん 死去
初優勝(昭和42年)
北の富士さんは北海道旭川市出身。昭和32年の1月場所で初土俵を踏むと速攻相撲を持ち味に番付を上げ、昭和45年の初場所後に横綱に昇進して幕内で10回の優勝を果たしました。
稽古を見る九重親方(当時)
引退後は九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育て、定年を前に日本相撲協会を退職して以降はNHKの大相撲中継で、現役力士の取組について時に厳しく、時に温かいことばで解説し人気を博しました。
大相撲中継で解説(2022年)
去年の3月から病気の療養のため、大相撲中継の出演を見送ってきましたが、ことし7月の名古屋場所の初日ではVTRで出演し、元気な姿を見せていました。
関係者によりますと、11月に入って体調を崩し都内の病院で治療を受けていましたが、12日、亡くなりました。82歳でした。
葬儀は近親者だけで20日までに済ませており、後日、お別れの会が開かれる予定だということです。
ライバル玉の海との優勝争い 千代の富士と北勝海の2横綱育てる
初優勝(昭和42年)
元横綱の北の富士勝昭さんは北海道旭川市出身。出羽海部屋に入門し昭和32年の1月場所で初土俵を踏みました。スピードのある攻めが最大の持ち味で、昭和41年の名古屋場所のあと大関に昇進し、その翌年には出羽海部屋から当時の九重親方とともに部屋を出て新たに九重部屋に移りました。
昭和45年の初場所で2場所連続の優勝を果たしたあと横綱に昇進し、同時に昇進したライバルの玉の海と何度も優勝争いを繰り広げて大相撲を盛り上げました。
その翌年、現役中に玉の海が急死したあとも横綱として角界を支え、合わせて10回の優勝を果たしました。
千代の富士
昭和49年の名古屋場所を最後に引退したあとは、九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育て、定年前の平成10年に日本相撲協会を退職しました。
北勝海
その後は、NHK大相撲中継の解説者を務め率直でユーモアをまじえた語り口で時に厳しく、時に温かく取組を解説し、人気を博しました。
去年3月からは病気の療養のため、大相撲中継への出演を見送っていましたが、ことし7月の名古屋場所ではおよそ1年半ぶりにVTRで出演し、場所の展望を語って、ファンに元気な姿を見せていました。
厳しくも温かい解説で親しまれる
北の富士さんはNHKの大相撲中継でのユーモアを交えた語り口や、時に厳しく、時に温かい解説でファンから親しまれました。特に人気を集めたのが解説でコンビを組むことが多かった元小結・舞の海の舞の海秀平さんとの軽妙な掛け合いです。
「3場所連続で三役を務め、あわせて33勝以上」という大関昇進の目安の話題について北の富士さんは、みずからが「28勝」で昇進したこともあって言及を避けることもありました。
しかし、解説で大関昇進の話題になると、舞の海さんからみずからの成績をたびたび引き合いに出され「そういうことを言ったら絶交だよ」と切り返した場面もありました。
また、令和2年秋場所の千秋楽の取組前には、当時関脇で優勝争いをしていた正代の大関昇進について北の富士さんが「負ければないと思う」という認識を示していました。
しかし、舞の海さんから「勝ち方に説得力がある。私は優勝を逃しても大関昇進でいいと思う」と反論されて「逆らうね」とつぶやくなど、本音をぶつけ合う姿がファンから親しまれました。
取組の解説では元横綱として厳しい視線を土俵に注ぎ、元横綱・稀勢の里に対しては大関時代に「大関らしい相撲を取ろうと思って、本来の攻めが出ていない。でもこれはきのう乗ったタクシーの運転手さんが批評していた」と話すなど、歯にきぬを着せない「辛口の解説」で知られました。
一方、宇良や炎鵬などいわゆる「小兵力士」好きとしても知られ、このうち、宇良に対しては「彼がここにいるだけでおもしろい。相撲が楽しくなる。得がたい存在だ」などとエールを送っていました。
また、元横綱 日馬富士が大関時代に一度待ったをかけて仕切り直し、その後、一方的に突き出された一番では「日馬富士は待ったじゃなくて『しまった』だな」とユーモアを交えるなど、相撲愛にあふれる解説で大相撲人気を支えてきました。
《角界関係者から悼む声》
北の富士勝昭さんが亡くなったことを受けて、九州場所が行われている福岡国際センターでは角界関係者などから悼む声が聞かれました。
弟子の八角理事長「あの師匠だから2人の横綱が生まれた」
北の富士さんの弟子で元横綱・北勝海の八角理事長は「体が悪くなってから合併症で病気ごとに病院に通ったり、入退院を10回ぐらい繰り返していたが、リハビリも頑張っていた。最後の会話はよくお酒を飲みに行っていた店の話だった」と話しました。
そして、親方としての北の富士さんについて「よその師匠は知らないが、楽しく盛り上げてくれる師匠だった。怒られることもなく、褒めていい方向に導いてくれた。私は言われたらやらないタイプだったので師匠は言わない努力をしてくれていたのだと思う」と振り返りました。
その上で「自分が部屋を持ったときには『褒めることだ』と言ってもらったが、なかなかできない。褒めて育てるのはなかなか難しい。あの師匠だから2人の横綱が生まれたと思う」と北の富士さんのすごさを口にしていました。
元大関・千代大海の九重親方「僕らの憧れというか目標」
北の富士さんの2代あとに年寄・九重を襲名した元大関・千代大海の九重親方は「まずびっくりした。2年前に国技館でお会いしてあいさつすることがあって、『解説がうまいな。独特な解説がすごく聞きやすい。声もいい』と話していただいたのが最後だった。北の富士さんから解説がうまいと言われてうれしかった」と思い出を振り返っていました。同じ部屋の出身としては「現役のとき、私の相撲を厳しく辛口で解説してくれたのは、身内としての愛情だと分かっていたし、親方になったら『次はしっかり頑張れよ。俺から見ればお前は孫だから』とよくフランクに声をかけてくれていた」と悼んでいました。
そして「横綱の2人、千代の富士さん、北勝海さんなど数々の関取を育てて、功績を挙げた先々代でもある。僕らの憧れというか目標でもあり、九重部屋の重圧を感じている。自分もこうなりたいし、ならないといけない。理想像に少しでも近づけるように九重部屋から三役を出して弔いたい」と話していました。
元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方「非常に悲しい」
元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方は「愛のある解説をしていただいた。厳しさもあったけど、すごく期待してもらっているのが励みだった。ことしの5月くらいに電話した時にちょっと声に元気がなくて心配だったけど、名古屋場所の時に映像で見て元気になったと思っていた。非常に悲しい」と話していました。
舞の海秀平さん「本当に残念」大相撲中継でコンビ
NHKの大相撲中継で長年、北の富士さんとコンビを組んできた元小結・舞の海の舞の海秀平さんは「いつかまた一緒に掛け合いができる日が来ると信じて、それを心の支えにやってきたので、本当に残念でならない。とにかく一緒に解説できないのが寂しいです。ユーモアがあって、懐も広くて、そういう北の富士さんに向正面からぶつかっていくのがすごく楽しみだった。それができないと思うと残念」と今の思いを語りました。
そして「力士や相撲界を批評するときでもそこには必ず愛情があった。いろいろな経験をしてきたからこそ、温かい目でそして厳しく、話せるのかなと思う。常に、相撲界を憂いていた」と振り返っていました。
また、印象に残っていることについては「2人で酒を飲んだときに言われた『俺とお前はあまり仲よくしてはいけないんだよ』ということばがうれしかった。私もいろんな人に『北の富士さんと仲が悪いんでしょう』と聞かれるが、だからこそあまり仲よくしてはいけないということばがすごく温かくて、そのことばがすごくうれしかった」と話していました。
北勝富士「相撲界見守ってもらいたい」
日本相撲協会の八角理事長の現役時代のしこ名「北勝海」と、その師匠だった「北の富士」の元横綱2人にちなんでしこ名が付けられた八角部屋の北勝富士は「私生活も相撲もいろいろ教えてもらった。北の富士さんからもらった「富士」だと思っているので、そういう部分では気持ちが落ち込んだし、心にぽっかりと穴が空いた」と心境を話しました。
そのうえで「場所中に悲しんでいると『何を考えているんだ』と怒られそうなので、大けがをしないようにひとつでも星を重ねていきたい」と前を向きました。また、北の富士さんには「どろんこになった分だけ成果は出るから稽古をしないと強くならない。稽古のことを考えて生活しろ」と教わってきたと話したうえで「これからの相撲界も見守ってもらいたい」と話していました。
十両 北の若 “憧れの北の富士さんに頑張る姿を見せたい”
入門前からの北の富士さんとの交流がきっかけで八角部屋に入門した十両の北の若は「孫のようにかわいがってもらった。プロに入る前から地元の山形に何度も足を運んでくれた」と思い出を振り返りました。
そのうえで「着物の着方とか私生活も含めて『横綱だな、かっこいいな』と心の底から思っていました」と憧れの北の富士さんへの思いを口にしました。
また、北の富士さんが亡くなった11月12日は自身の誕生日と同じであることに触れ「何かメッセージをくれたと思う。恥ずかしくない相撲を取らないと見せる顔がないので、頑張っている姿を見せたい」と話しました。
出身地 北海道旭川市からも悼む声
また、出身地の北海道旭川市でも悼む声が聞かれました。
ふだんから大相撲を見ているという82歳の女性は「寂しいですね。辛口の解説が大好きでした。本当に寂しいです」と話していました。
82歳の男性は北の富士さんについて「爽やかで解説も上手な人で、豪快さも魅力だった。残念ですね」と話していました。
大相撲ファンからも悼む声相次ぐ
九州場所が行われている福岡国際センターでは大相撲ファンから亡くなったことを悼む声が相次ぎました。
北の富士さんの現役時代をテレビで観戦していたという女性は「現役時代は横綱として体力、気力が本当にすごかった。さみしい思いだ」と悼んでいました。
一方、50代の男性は、解説者としての印象が強いとして「辛口の解説だったが、北の富士さんが言えばみなさん納得していたと思う。解説姿を見ていたらまだまだいけるんじゃないかと思っていたが本当に残念。天国から取組を見て『何やっているんだ』と言っているんじゃないか」と話していました。
また、70代の男性は「惜しい人を亡くして時代が変わってきていると感じる。また相撲界にいい人が現れることを期待していきたい」と話していました。
このほか、北の富士さんを目の前で何度も見たことがあるという男性は「ダンディーでかっこいいし、和服姿もここで何度もみた。破門を乗り越えて横綱になって、ああいう存在はいないと思う。すべてにおいてめちゃくちゃかっこよかった」と話していました。
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