吉田茂が米国と交わした「約束」の正体に驚愕!強硬姿勢崩さぬ米軍に最後は…

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知らぬ間に「米国のミサイル基地」と化していた日本
日本にとっての「最悪のシナリオ」とは?
政府による巧妙な「ウソ」とは一体…?
国際情勢が混迷を極める「いま」、知っておきたい日米安全保障の「衝撃の裏側」が、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』で明らかになる。

※本記事は布施祐仁『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集したものです。

吉田茂と米国、交わされた「密約」

実は、米国が日本に作戦指揮機能の統合を望むのは、今に始まったことではありません。

古くは今から70年以上前の、日本がまだ米国を中心とする連合国の軍事占領下にあった時代までさかのぼります。

1950年秋、米国政府は連合国の占領終結後も米軍の日本駐留を認めることなどを条件に、日本と講和条約を締結する方針を決定します。そして、翌年の1月から日本政府との交渉を開始します。

この交渉で米国政府は、占領終結後の日米の安全保障協力について定める協定に、有事の際は警察予備隊(自衛隊の前身)など日本の部隊を米軍司令官の指揮下に置くという規定を入れるよう要求しました。

日本政府は、「憲法と関連して重大問題をまきおこす懸念がある」などとして明文化することには強く反対しました。しかし、明文化しない代わりに、当時の吉田茂首相が、有事の際に米軍司令官が日本の部隊を指揮することに同意すると密かに約束しました。

この事実は、獨協大学の古関彰一名誉教授が1981年に、米国で機密解除された公文書の中から発掘しました。

指揮権密約の知られざる内実

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復します。同日、日米安全保障条約も発効し、占領軍であった米軍はそのまま日本への駐留を続けます。その3ヵ月後の7月下旬、吉田茂首相、岡崎勝男外相、マーク・クラーク米極東軍司令官、ロバート・マーフィー駐日米国大使の4人が会談します。

クラーク司令官が会談の内容を報告するために国防総省の統合参謀本部に宛てて送った公電に、次のように記されていました。

「私は7月23日夕刻、吉田(首相)、岡崎(外相)、マーフィー(駐日米国大使)と自宅で夕食を共にした後、会談を行った。私は、我が国の政府が有事の際の軍隊の投入に当たり、指揮の関係について日本政府との間で明解な了解が不可欠だと考えている理由を詳細に説明した。吉田は即座に、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきだということに同意した」

この公電には、吉田首相がこの合意を秘密にするよう求めたことも記されています。

「(吉田は)この合意は、日本国民に与える政治的衝撃を考慮して当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィーと私はその意見に同意した」

ガイドライン制定で浮上した問題

1978年に日米両政府が初めて「日米防衛協力のための指針」(通称「ガイドライン」)を策定した時にも、指揮権の問題が浮上します。

同指針は、日米安保条約に基づく日米の防衛協力の具体的な内容(協力の在り方や役割分担など)の大枠を定める文書です。

指針の策定に向けた日米の交渉で、最後までなかなか合意に至らなかったのは指揮権の問題でした。

米側は、日本有事で米軍と自衛隊が共同作戦を行う場合、米軍の司令官が指揮を執ることを強く主張しました。それに対して日本側は、自衛隊が米軍の指揮下に入ると指針に明記することは憲法上できないと抵抗しました。

当時、自衛隊統合幕僚会議(現在の統合幕僚監部)の幕僚として交渉に加わった石津節正は、共同作戦の指揮は米軍司令官が執るのが当然という姿勢で米側が一歩も引かず、交渉をまとめるのに苦労した事実を明らかにしています(防衛省防衛研究所『オーラル・ヒストリー冷戦期の防衛力整備と同盟政策3』)。

日米双方が受け入れられる「妥協案」がないか頭をひねった石津は、「指揮」と「統制」を区別するアイデアを思い付きます。

土壇場で「修正」求められ…

自衛隊でも、指揮系統にはない別の部隊をあらかじめ定められた手順に従って一時的にコントロールする場合、「統制」という言葉を用いていました。この区別を自衛隊と米軍が共同作戦を行う場合にも適用できないかと考えたのです。

そして、指針に次のように記述するよう米側に提案し、米側もこれを了承しました。

自衛隊及び米軍は、緊密な協力の下に、それぞれの指揮系統に従って行動する。自衛隊及び米軍は整合のとれた作戦を共同して効果的に実施することができるよう、必要な際に双方合意の下、いずれかが作戦上の事項を統制する権限を与えられる。

ところが、指針の最終案をまとめる段階になって、外務省から文言の修正を求められたといいます。

「丹波さん(丹波實・外務省安全保障課長)から私のところに直接電話がかかってきました。外務省も外務省の立場から法律的な検討をされていたんでしょう、『他のところはクリアー出来るんだけど、統制という言葉がどうしても引っかかる。外務省としてあなたの言うことは分かるけれども、この言葉は法律的に消化できない。法律的にはどう説明しようとも命令、指揮権にもとづくものとしてしか通らないんだ。別の言い回しはないだろうか。内容的には私も賛成なので、異論を差し挟むつもりはない。ただ、表現の問題だ。国会対策上も、これでは非常に難しいことになるから』という調整でした」(同前)

結局、最終的に公表された指針では、「統制」という言葉は削られ、「あらかじめ調整された作戦運用上の手続に従って行動する」というぼかした文言に差し替えられました。

しかし、実質的には、有事において米軍が自衛隊を統制することを認めたのです。

>>つづく「米国の要求受け入れた日本の末路!日米軍事一体化めぐる「最新の状況」は一体… 」では、2024年7月に行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)でさらに進められた日米軍事一体化の「現在地」を詳説します。

これが、いわゆる「指揮権密約」と呼ばれているものです。

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