定年後、「絶望の30年」を過ごす人と「幸せな30年」を過ごす人の分かれ道はここにあった…3000万人の人たちが誤解している「お金の使い方」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。
※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

日本人の3割が高齢者に

さて、私と同じ八〇代の人たちと話をすると、皆の関心事は、「どうすれば健康で他人の世話にならずに自立心をもって生活できるか」ということに集中しています。

高齢期に健康で自立心をもって生活が送れるかどうかは、社会との関わりや人間関係も含むさまざまな生活要素によって異なり、その違いが生きている実感(生きがい)にも影響してくる、と言えるかもしれません。

ところで、二〇二三年九月一八日の「敬老の日」にちなんで総務省統計局が公表した人口推計によると、我が国の六五歳以上の高齢者人口は三六二三万人でした。総人口に占める割合は二九・一%で過去最高を更新し、世界トップです。そのうち、八〇歳以上は一二五九万人で、総人口に占める割合が初めて一割を超えました。

国立社会保障・人口問題研究所の推計では、総人口に占める高齢者人口の割合は今後も増え続け、近い将来、三割を超えると見込まれています。

日本では六五歳以上を高齢者・高齢期とみなすのが一般的な傾向ですが、近年はこの傾向に否定的な意見が多くなりました。日本老年学会・日本老年医学会では、六〇代後半〜七〇代前半の多くが心身の健康を維持して社会活動も活発なことから、「七五歳以上を新たに高齢者・高齢期と定義すべきだ」との提言を二〇一七年に発表しています。

いずれにせよ、「高齢期」や「老後」と呼ばれる時期は長い。日本全体の平均寿命はおよそ八五歳ですから、定年退職後を「老後」とするなら、六〇歳で定年を迎えた人にとっての「老後」は四半世紀も続くことになります。

定年後とお金の大問題

目の前に現れたその長い時間を、どう生きるのか。何を生きがいにして過ごしていけばいいのか——。そう考えて途方に暮れてしまう人もいるのではないでしょうか。私と付き合いのある高齢者のなかにも、「やることがなくて困っている」「何かやらなきゃと思うんだが、何をしていいかわからない」と言う人が少なくありません。

「七〇歳になったらあれもやりたい、これもやりたいと思っていたけど、いざその歳になると、一人じゃ何もできないんだよ」と、愚痴をこぼす人もいます。

皆さんの周りにも、孫の面倒をみたり、友達とゴルフに行ったりしながら、どこか物足りなさそうな人や、今の生活に納得していないような人がいるかもしれません。

それは、「自分は○○のために生きるんだ」という目的を見失い、生きている実感が乏しくなっているからのように思います。

「令和五年版高齢社会白書」によると、六五歳以上の高齢者全体のうち、「家計にゆとりがあり、まったく心配なく暮らしている」人たちは少数派で、一二・〇%にすぎません。「家計にあまりゆとりはないが、それほど心配なく暮らしている」人たちが五六・五%と、大半を占めています。

そもそも、お金のあるなしと幸福感とは、必ずしも一致するものではありません。健康で精神的に安定した生活は、お金では買えないのです。

毎晩のように高級車で一流レストランに出かけて食事をしているような人でも、自身の健康に不安があったり、家族間のトラブルに心を悩ませたりしているかもしれません。家計にあまりゆとりはなくても、家族皆が健康で、たまに近所のファミレスで仲良く食事をすることに幸せを感じている人も多いでしょう。

もちろん、お金はないよりあったほうがいい。定年退職後の「第二の人生」を大過なく送るにも、ある程度の蓄えが必要なのは言うまでもないことです。

しかし、蓄えがあればあったで、それをアテにして、新しい仕事に踏み出す意欲をなくしてしまう恐れもあります。毎日、何をするでもなくぼんやりと過ごし、仕事を通じて社会と関わることもない生活から、はたして生きる喜びや充実感を得られるでしょうか。定年退職は、「お金の本質」と「本当の幸福とは何か」について考えるよい機会だと思います。

さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。

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