最初の特攻で最年長32歳…父は自宅上空で翼を振って別れを告げた――出撃地・知覧で慰霊祭 遺族ら、隊員1036人の冥福祈る

image

特攻戦没者を悼み焼香する参列者=3日、南九州市の知覧特攻平和観音堂

 第71回知覧特攻基地戦没者慰霊祭が3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂であった。戦後80年の今年は昨年を上回る約700人の遺族や関係者が参列。太平洋戦争末期の沖縄戦に知覧飛行場から出撃した439人を含む、旧陸軍特攻隊の戦死者1036人の冥福を祈り、恒久平和を誓った。
 遺族の参列は昨年より60人余り増え、全国から221人が集い、子ども連れの姿も目立った。主催する知覧特攻慰霊顕彰会長の塗木弘幸・南九州市長は「時が流れて世代が変わっても、戦争の悲惨さや平和の尊さを知覧から訴え、御霊(みたま)の精神を顕彰していく」と追悼の言葉を述べた。
 遺族代表のあいさつは、1945年4月1日に知覧から最初に飛び立ち、特攻隊員で最年長の32歳だった第23振武隊隊長の伍井芳夫中佐の次女・臼田智子さん(81)=埼玉県桶川市=が務めた。
 臼田さんは伍井中佐が知覧に移動する前に住まいのある桶川市上空に飛来し、翼を振って別れを告げたエピソードを紹介。「命の尊さを語り継ぐことを誓う。御霊らも観音堂で安らかに眠ってほしい」と述べた。

  • 〈出撃地・南九州市の位置を地図で確認する〉
  • 特攻戦没者を悼み献花する参列者=3日、南九州市の知覧特攻平和観音堂
  • コメント