山行で体得した学習は、その瞬間に視覚、聴覚で捉えた単純な画像や音声に止まらず、連綿と続く国家と民族、政治と宗教等と密接に関連し、追想の彼方に仏法的、神道的因縁もよぎる。つまるところ、百代の旅人として、如何なる民族が如何なる歩みを、この山島に篆刻してきたかを再見した。※本記事は、平山喜代志氏の書籍『百名山心象風景』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。
【前回記事を読む】『古事記』同様天武天皇の勅命で編纂が始まった『日本書紀』。持統天皇の寵遇を得た藤原不比等が編纂を主導したかもしれない?!
第2節 国家の成立第
1項 神話由来
②『日本書紀』
内容はといえば、神代はまるまる根拠の薄い神話物語である。神武天皇から大和政権の時代の歴史も神話、伝説で埋められ、しかも口承内容を文書化したものだけに歴史的信憑性は鵜呑みには出来ない。
先述した通り、記紀は事実と断定しかねる旧辞、帝紀を基に創作した歴史なので、事実と虚構が混同した口承文学と理解する必要がある。
しかし、古代に於いてはどの国でも国家の成立、歴史、人物、事象等は全て検証された史実として今日に伝わっている訳ではない。特定するに足る客観資料が欠落し、史書と見做されていても、支配者に都合良く改竄されているのが普通で、真贋を見極めるのは甚だ難儀である。
とはいえ、神話、伝説、説話15等の伝承も最初から否定、排除する必要はなく、考古学的並びに仮説の検証を駆使して固めた傍証により、当時の外貌を把握し得れば貴重な資料となる。
神話作成の意図を洞察すれば、真実と隠蔽箇所は自ずと白日の下に晒されてくる。恐らく、支配者は支配の正統性と権威(威厳)を被支配者に武事ではなく、文事によって示顕し、治政と民心の安定を最優先に図ろうとした。
③ 記紀編纂の主旨
当時、後進国の日本にとって記紀編纂の直接的契機は、唐から外交上対等な国家として認定してもらうための一要件であった。
『日本書紀』は正史とはいえ、成立の論旨が神々によって造られ、神話、伝説の要素で満ち溢れていることに触れた。伝承された帝紀、旧辞の史話類とはいえ、そこには未来を見据えた仕掛けがあり、実によく考案、編纂されている。
永続する国家像、国体構想を秘匿しつつ、影絵のように描写している。初となる国史の編纂は、当時の英知の総力を挙げて取り組まねばならない大事業であった。天皇を中心とした中央集権体制は構築されてはいても、権力基盤は脆弱で、いつ体制崩壊が起きても不思議でなかった。
有力な保守的氏族は依然強い勢力を保持しており、彼等を押さえつつ、合意、納得させるためには壮大な国家像を描き、神を先祖とする天皇の絶対的権威と法典による支配の具現化を国史に裏書きする必要があった。
実務の主役は、天皇の腹心として活動した不比等と仮託している。国史編纂は膨大な熱量と智恵が必要な課題で、同調する派閥、優秀な官僚群の支持、協力を得て推進しなければならなかった。
この難題に尽力したのは漢籍、仏法に秀でた官僚群であり、彼等の幾人かは百済滅亡後に日本に来た渡来系の人々であった。勿論、最大の支援者は不比等を寵遇、信任した持統天皇だったに違いない。
不比等は国家像を想定するにあたり、千年先まで継承される天皇家の永続的地位の安泰及び共存して藤原一族の吉祥、繁栄を前提とする仮説を立てる。その実現のために、天皇権威の強化と法による支配の確立が必須条件と判断する。
唯一無二の支配者として天皇の正統性を唱えた。ここで重要な点は偉大な神から継いだ権威である。側近の貴族は無双の権威の確立に腐心する。権威とは神聖たる天皇個人と付随する全ての有形及び無形の力を指す。
この時代、国史に反映して公知化を図ることが最優先された。その他天皇を権威化する仕掛けは多々あり、天体観測、暦法、占術等、庶民が無識の世界を統括し、日常生活に役立てた。
法典は律令制度として発令することとなる。この構想の先に記紀、大宝令(701)が完成される。古今、どこの国の支配者も、権力簒奪後は英知の限りを尽くして、永続を担保する体制構築を図る。
その多くは新権力者の正統性を主眼に、都合の良い歴史捏造と法令発出である。これは社会悪ではなく、社会性を嗜好する人間の特性であり、社会の混沌を安定へと改善する処方箋でもあった。
世界史を総覧しても実際、千年続いた継承王権は日本の皇室以外見当たらない。それほど、専権の中央に居座ることは難しい。この千年未来を透徹し、現実化させる意思を込めて、恰も予言者の託宣の如く、天皇の権威を極大化するべく記紀は書かれている。
皇室が奇跡に近いほど永く続いている理由の主因は、先述の神聖化による天皇の権威にあったと推断する。別角度から分析してみると、巧妙な智恵が浮かび上がる。権威を大別すると、神聖と武威で構成される。
天皇は他家を侵害する武力を放棄する代わり、神聖不可侵の立場を強調し始めている。このお膳立てをしたのは後述の藤原氏である。神の子孫として、神聖視される王権へと構造変換を図り、天皇の権威の最大化を企図したのだ。
帝紀に窺える事例を参考にして、血生臭い所業から懸絶するために武力を第三者に付託する選択をしたのだ。統治体制を別にしても、武力を保有しない最高実力者の出現は異例である。
コメント