西郷隆盛が「自分を殺しにきた男」に放った「衝撃のひと言」…勝海舟が語った「西郷の胆力」の凄まじさ

image
西郷隆盛の肖像。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

近代史を楽しく知るのにもってこい

近代日本の幕開けとなった「幕末・維新期」には、多くの人物が日本の将来を模索し悩みながら活躍しました。

この時期に活躍した「偉人」たちの素顔を知るのにうってつけなのが、幕臣であった勝海舟による『氷川清話』という本です。現在は講談社学術文庫で読むことができます。

本書に収録された勝海舟による人物評論は、日本の歴史を築いてきた人物たちの姿を生き生きと伝えてくれており、近代史を楽しく知るのにもってこい。

たとえば、江戸城の無血開城で勝とわたりあった西郷隆盛はどうでしょうか。本書では、人見寧(ひとみ・やすし)という旧幕臣が西郷の暗殺をくわだてたエピソードを紹介しつつ、西郷の肝っ玉の大きさを描き出しています。

『氷川清話』より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。

西郷隆盛の肖像
西郷隆盛の肖像。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

暗殺者を前にして……

***以下引用***

西郷はちつとも見識ぶらない男だったよ。あの人見寧(ひとみ・やすし)といふ男が若い時分に、おれのところへやつて来て「西郷に会ひたいから紹介状を困いてくれ」といったことがあった。

ところが段々様子を聞いて見ると、どうも西郷を刺しに行くらしい。そこでおれは、人見の望み通り紹介状を内いてやったが、中には「この男は足下を刺す筈だが、ともかくも会つてやってくれ」と認(したた)めておいた。

それから人見は、ぢきに薩州へ下つて、まづ桐野(編集部注:桐野利秋)へ面会した。桐野も流石に眼がある。人見を見ると、その挙動がいかにも尋常でないから、ひそかに彼の西郷への紹介状を開封して見たら果して今の始末だ。流石に不敵の桐野も、これには少しく驚いて、すぐさま委細を西郷へ通知してやった。

桐野利秋
桐野利秋〔PHOTO〕WikimediaCommons

ところが西郷は一向平気なもので、「勝からの紹介なら会つて見よう」といふことだ。

そこで人見は、翌日西郷の屋敷を尋ねて行って、「人見寧がお談(はなし)を承りにまゐりました」といふと、西郷はちやうど玄関へ横臥して居たが、その声を聞くと悠々と起き直つて、

「私が吉之助だが、 私は天下の大勢なんどいふやうなむつかしいことは知らない。まあお聞きなさい。先日私は大隅の方へ旅行したその途中で、腹がへつてたまらぬから十六文で芋を買つて喰つたが、多寡(たか)が十六文で腹を養うやうな吉之助に、天下の形勢などいふものが、分る筈がないではないか」

といつて大口を開けて笑った。

ところが血気の人見も、この出し抜けの談に気を呑まれて、殺すどころの段ではなく、挨拶もろくろく得せずに帰つて来て、「西郷さんは、実に豪傑だ」と感服して話したことがあった。

知識の点においては、外国の事情などは、かへつておれが話して聞かせたくらゐだが、その気胆(きも)の大きいことは、この通りに実に絶倫で、議論も何もあつたものではなかったよ。

***引用ここまで***

大口をあけて笑う西郷の姿が目に浮かぶような記述です。

さらに【もっと読む】「日露戦争の「終盤」を見るとわかる…「明治のリーダー」と「昭和のリーダー」の「決定的なちがい」」の記事では、「歴史探偵」として知られる半藤一利さんが、明治のリーダーたちと昭和のリーダーたちの違いについて解説しています。ぜひあわせてお読みください。

    コメント