鹿児島・大隅の話題をお伝えしている「大隅フラッシュ」、今回紹介するのはろうそくです。といっても私たちが普段目にするものとはちょっと違うんです。ハゼノキという木から採れた原料を使って、伝統的な手法で作られた「和ろうそく」です。これが灯す明かりに魅せられて、錦江町に移住した男性を取材しました。
大きく、力強い火が柔らかくゆらぎ、瞬きます。これが「和ろうそく」の明かりです。
内田樹志さん
「力強さのある炎が面白い。癒やされますよね」
「(ろうそくが)明かりという文化を作ってきた」
そう話すのは内田樹志さん。大阪生まれの41歳です。約3年前に東京から鹿児島県錦江町に移住してきました。
錦江町神川にある、16年前に廃校となった神川中学校。今ではオフィスとしてリノベーションされ、図書室だった部屋が内田さんの職場です。
移住する前は大手メーカーに勤めていた内田さん。でも、胸の奥には秘めた思いがありました。
”自分の好きなことを仕事にしたい”
そんな時に「和ろうそく」に出会いました。
内田さん
「光り方、瞬き方に感動しました」
「職人さんに色んな話を聞かせてもらい、材料をどうしたら育てられるのか」
「和ろうそく」をきっかけに脱サラを決意。それからろうそく職人に話を聞いて知識を深めていくうちに、その「原料」にひかれていきました。
内田さん
「これがハゼの実です。これを搾ると油のように流れてくる。それを固めたものがこの「木ろう」」
一般的な洋ろうそくは石油から作られますが、和ろうそくの原料は漆科の植物、ハゼノキの実から採れる植物性の油です。これはろうそくだけでなく、染料や化粧品、クレヨンにもなります。
内田さんはアイデア次第で色んな商品に使えるハゼノキに可能性を感じています。
しかし、それがなぜ錦江町への移住につながったのか?実はこのハゼノキ、大隅と深いつながりがありました。
内田さん
「僕がハゼノキを育てている「ハゼノキの里山」と呼んでいる場所です」
「400本くらいのハゼノキが植えられています」
日本で初めてハゼノキの栽培が始まったのが、ここ錦江町を含む南大隅地方とされています。盛んに栽培されていたハゼノキでしたが、明治時代以降に衰退して約20年前に栽培が途絶えました。
内田さん
「高齢化が進んでいる地域で山を維持しようとしても手が動かない」
「ハゼノキが大隅発祥の植物。山を生かしたい」
『発祥の地でハゼノキ栽培を復活させる』それが内田さんの夢です。
私(吉留リポーター)もハゼノキの魅力を知りたいと思い、和ろうそくを作ってみました。用意されたのは、熱で溶かしたロウと、芯になる和紙にい草を巻きつけたものです。
内田さん
「これをロウにさっと漬け、冷まして固める。これの繰り返しです」
やってはみるもののなかなかうまくいきません...
鹿屋支局・吉留李奈リポーター
「あれー・・・?」
内田さん
「簡単なはずなんですが」
作り始めて約40分。
吉留「出来ました~」
内田さん「はい、100点ですね」
ユニークな形になりましたが、世界に1つの和ろうそくが完成しました!
内田さん
「目標、野望というか錦江町や大隅半島に住む人が「大隅半島って何がある?」と聞かれた時に、「大隅半島にはハゼノキがあるよ」ってみんなに言ってもらえたら僕の勝ちです」
ハゼノキと和ろうそく。内田さんの夢が地域の営みを繋ぎます。
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