長嶋茂雄さん「ON砲」・初の天覧試合でサヨナラ弾・「巨人軍は永久に不滅です」・野球界初の文化勲章

 プロ野球、読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。89歳だった。巨人―米大リーグ・ドジャース戦が行われた3月15日、東京ドームで大谷翔平選手と面会し、その翌日に肺炎と診断されていた。

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ユニホーム姿で巨人軍入団記者会見に臨む長嶋茂雄さん(中央)(1957年12月7日)

 千葉県臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進んだ。1958年に巨人入りし、打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得。59年には初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放った。王貞治選手との「ON砲」で、65年から日本シリーズ9連覇を果たした。

 躍動感あふれるプレーで「燃える男」の異名を取り、17年間の現役生活で首位打者6回、打点王5回など数々のタイトルを獲得。74年、後楽園球場で「巨人軍は永久に不滅です」との名言を残して引退し、背番号3は巨人の永久欠番となった。

「巨人軍は永久に不滅です」の名セリフを残した長嶋茂雄さんの引退セレモニー(1974年10月14日、後楽園球場で)
「巨人軍は永久に不滅です」の名セリフを残した長嶋茂雄さんの引退セレモニー(1974年10月14日、後楽園球場で)

 翌年、巨人監督に就任し、6年でセントラル・リーグを2度制覇。93年から再び指揮を執り、3度リーグを制し、94年と2000年には日本シリーズ制覇を果たした。01年を最後に勇退し、終身名誉監督となった。

 03年には日本代表監督としてアテネ五輪アジア予選を戦い、1位で突破したものの、翌年3月、脳 梗塞こうそく を発症。その後の熱心なリハビリ姿はファンの胸を打った。13年にはまな弟子の松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞。21年東京五輪では王さん、松井さんと聖火ランナーを務め、同年秋、野球界で初となる文化勲章を受章した。18年夏に胆石のため入院し、治療を受けたが、その後も度々球場を訪れ、選手らを激励していた。

 告別式は近親者で執り行い、喪主は次女の三奈さんが務める。弔問や香典、弔電などは遺族の希望で辞退し、後日お別れの会を開く。

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