「最盛期1328人→現在47人」ある限界集落の歴史「007」ロケ地、鹿児島県南さつま市・秋目の歩み

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国道226号線沿いにある「がんじん荘」(筆者撮影)

前回の記事では、人口47人の限界集落で営業を続けてきた宿「がんじん荘」の舞台裏を取材した。その中で見えてきたのは、人が少なくアクセスに苦労する場所において、その土地でのニーズに応えられうる限り全力で対応し続けてきた多角経営の姿勢だった。

「がんじん荘」のある鹿児島県南さつま市坊津町秋目は、ハリウッド超大作でありジェームズボンドが活躍する『007は二度死ぬ』のロケ地として知られている。さらに時代をさかのぼると、鑑真和尚が上陸して仏教が伝わった港であり、藩政下は密貿易で栄えたような痕跡が随所に残る謎めいた土地でもある。

007

1990年に建てられた007の記念碑(筆者撮影)

そこで今回は、「がんじん荘」と秋目の魅力と歴史に迫りたい。人が減り、学校は廃校になり、限界集落になった秋目だが、独特の魅力で今なお訪れる人の心を惹きつけている。

かつては“よそ者”だった

「がんじん荘」の歴史は、今宿がある場所に1921(大正10)年、上塘さんの祖父母が加世田から移り住んだのが始まりだ。

「じいちゃんたちは“よそ者”じゃないですか。だから一番端っこの場所に店を構えたみたいです」

「一番端」というのに驚いた。「がんじん荘」は国道226号線に面している。海岸線に沿って延びる国道226号線は景色のよいドライブロードとして知られており、「がんじん荘」は表通りに面しているような立地だ。しかし、この道路が整備されたのは後の時代のこと。入植当時、ここは集落の端っこだったのだ。

前編でもお伝えしてきた通り、集落最後の飲食店であり、雑貨屋であり、宿(宿はもう一軒あり)であり、“地域の総合商社”ともいわれる「がんじん荘」。その源流をたどると“よそ者”として始まったことがなんだか心に響いた。

「よそ者だからいろいろ苦労もあったみたいですけど、それを乗り越えて……と、昔の話は聞いてましたね。そのとき集落の人口は500人くらい。じいちゃんは左官屋さんで蔵を作ったり壁塗りしたり、ばあちゃんは雑貨屋さんをして豆腐やこんにゃく作って売ったり、酒タバコも扱って。人口が多かったからそれで十分食っていけたみたいです」

釣りブームで始まった宿

宿を始めたのは2代目の上塘さんの父の代から。昭和40年代になると、全国で釣りブームが起こる。目の前の秋目湾は多種多様な魚の釣れるよい漁場であったため、雑貨屋としての営業だけでなく、釣り客を対象にした宿も始めるようになった。この頃の名前は「上塘旅館」である。

「ほぼ雑魚寝みたいな感じで、朝ごはんを食べてすぐ釣りに出る。そんな感じでよかったんですよ。それが大体の宿の始まりです」

あるとき泊まった釣り客が「釣り船を出してやったらいいのではないか」と助言したのが瀬渡しの始まりだった。

集落には漁船を所有する漁師が多くいたため、宿では予約を受け付けて集落の漁師たちに振り分けて手配する対応をしていた。

「電話はぐるぐる回して交換手につないでもらった時代です。予約を受けたら、漁師さんのとこへお願いしにいくんですよ。その対応が大変だったみたいです」

釣り客が増えたため、針や糸などの釣り道具や下着のほか、パンやカップラーメンなど釣り客が必要な物を雑貨屋で扱うようになった。

秋目湾

秋目湾(筆者撮影)

ハリウッドのロケ隊が秋目に上陸

宿を始めたのと同じくらい、秋目がハリウッド映画のロケ地に選ばれた。その映画とは、ハリウッド超大作であり、ジェームズボンドが活躍する007シリーズ5作目『007は二度死ぬ』だ。

映画の中で、秋目はジェームズボンドが漁師に扮装して潜伏した漁村として登場している。青い海と山に囲まれた漁村の風景は、映画の中で独特の情緒と存在感を放っていた。ジェームズボンドが「ジャイロコプター」と呼ばれる一人乗りのヘリで秋目上空を飛び回る様子は圧巻なので、ぜひ映画を見てみてほしい。

ロケが行われたのは昭和41(1966)年、8月1日の真夏の暑い時期にロケ隊が入り、撮影期間は約2週間。「上塘旅館」は俳優たちの休憩所としてスタッフが出入りしていた。

「6歳だったので、外国の人がたくさんいるなということしか覚えていなくて。その後、うちでロケしている写真を見たり、007ファンの方が見せてくれた資料で知ったこともたくさんあります。でも食べ物のことは覚えていて、サンドイッチとコカ・コーラを出してもらいましたね」

集落にはロケ隊が滞在できる規模の宿はなかったため、指宿市のホテルに泊まり、そこからヘリで秋目に通っていた。上陸するヘリポートを設営するために、秋目の畑を地主から買い取った話が有名である。ロケが終わった後、土地は返還されたという。

「そのヘリポートの水巻きが高校生のアルバイトで500円。その頃の500円はもっと高いですよ。今でいう5000円くらい。短時間で終わるからいいバイトだったみたいです」

さらに、俳優たちのために冷房バス、トイレカー、ドリンクカーといったさまざまな設備を備えた車が常駐していたそうだ。当時の集落の人たちは、この大掛かりなロケをどう思っていたのだろうか?

「映画も007も知らないから、だまされているんじゃないか!と思っていたじいちゃんばあちゃんもいるらしいです」

ロケが終わり、1967年に映画が公開。その後ロケ地である秋目に人が押し寄せ……というほどのこともなく、秋目が「007」ロケ地であると大々的にPRされるようになったのは大分後のことになる。

「007の記念碑ができたのが1990年なんですよ。それからしばらくすると『どこに記念碑があるの』って観光客の人も少しずつ来るようになって認知されてきて。特に今がすごいですね」

007

記念碑は集落を一望する峠に建てられた(筆者撮影)

上塘さんが宿を継いだのは記念碑ができて十数年後、2002年33歳の頃だった。大学卒業後、料理の勉強をした後に地元役場に勤め、それから家業に入ったのだ。

007は少年時代の憧憬

神奈川県在住、医学博士であり007の大ファンである大藤道衛さんは少年時代に『007は二度死ぬ』を見た際に、秋目の漁村風景の美しさにすっかり魅了されて「いつかこの漁村に行ってみたい!」という思いを抱き続けてきたという。映画を繰り返し何度も見るほど熱狂したが、その後大人になり、仕事に追われる日々を送るうちにいつしかその思いもおぼろげになっていった。

そんなある日、ネットで007の記念碑のことを知り、映画に登場した漁村が秋目という場所であったことを知る。一気に少年時代の熱狂がよみがえった。そうして2007年にはじめて訪れた秋目では、映画で見た風景の数々を実際に目にして、夢中になってカメラのシャッターを切りながら40年前の自分に戻ったような心地よい気持ちで過ごしたという。その後も毎年のように秋目を訪れては、故郷にいるような気持になるという。

映画公開から50周年になる2017年には「007秋目サミット」が行われた。ロケ地散策やロケに使われた洞窟を巡るクルージング、出演俳優たちによるトークショー、そして『007は二度死ぬ』を上映するといった内容だ。

その後、新聞やテレビが取り上げ、全国レベルにロケ地としての認知が高まったという。

がんじん荘

「がんじん荘」の中には、映画ゆかりのポスターやポストカードなどが飾られている(筆者撮影)

仏教上陸と密貿易の歴史ロマン

映画の中では、ボンドが漁師に扮して潜伏していた秋目だが、その土地自体が“隠れ里”のような秘密めいた雰囲気がある。急峻な山に囲まれ海に面した秋目は、集落の外からの目が届きにくい場所である。

歴史をさかのぼると鑑真和尚が上陸した地であり、貿易港としても使われていた。貿易が禁止された藩政下では、秋目の2つ先の集落である坊津港で密貿易が行われていたことがよく知られているが、秋目にも密貿易の恩恵を受けたような、富の名残りを感じさせるものがそこかしこに残っている。

上塘さんが見せてくれた銭函の蓋も、そのひとつだ。

「銭函は、昔の金庫のようなものです。近くの家の方が蔵からモノを出して焼いていて、その中にこれがあったので貴重なものだと思いもらいました。こういうものは普通の平民の家にはまずありません。こんなものがあったということは、かなり裕福だったということかもしれません」

銭函の蓋

銭函の蓋。「文政11年とあるので、文政10年生まれの西郷さんが1歳のときのものですね」(筆者撮影)

さらに、秋目には漢方医の屋敷跡地が2軒残っている。小さな漁村に漢方医が2軒もあったとは普通ではない。ここに富があった証拠なのかもしれない。

石塔や磨崖仏など、鹿児島の石の史跡を共同で巡り調べている窪壮一朗さん、川田達也さんにも話を聞いてみた。

「江戸時代後半の文政12(1829)年に大坂の商人が旅行で秋目に一泊しています。その日記『薩陽紀行』には、宿の主が「琉球行きの者」※だと書いているんです。その頃の秋目が豊かだったのは密貿易のおかげではないかと思います」(窪壮一朗さん)
※当時の密貿易は薩摩から琉球を経由して行われていた。

秋目には漢方医の屋敷跡地が2軒残っている。小さな漁村に漢方医が2軒もあったとは普通ではない。密貿易で潤っていた証拠なのかもしれない。また、富の痕跡は墓石にも見られる。

「秋目に残されている江戸時代の墓石には、多くに高級な山川石が使われていて、細かい装飾まで施されているものもあります。さらに、秋目という町の規模に対して墓石の数がとても多い。むかしはもっとたくさんあったと聞くので、それだけ豊かだったのでしょう」(川田達也さん)

明治時代の秋目は、人口が1328人いたとの記録も残っている。(参考『角川日本地名大辞典46鹿児島』)

漢方医・坂本家跡地。立派な石造りの階段を上がった先に、石門と邸宅がある(筆者撮影)

ボンドが潜伏した秋目、その土地のそこかしこに見え隠れする秘密めいた史跡や話が、訪れた人の冒険心を掻き立てる。

食べ物も仕事も、集落で分け合ってきた

最後に、「がんじん荘」に滞在して聞いた中で印象的だった話がある。秋目の集落で暮らすひとりであり、柑橘農家であり、ロックバンド「人性補欠」ボーカルの桑原田健史さんは、仕事終わりに「がんじん荘」にやってきて、同じ集落の漁師・富田照昭さんと一緒に酒を交わす。

「富田さんは漁でキビナゴがたくさん取れたときには、集落放送で呼びかけて、地域のみんなにキビナゴを振るまうんです。その姿に感動して、自分もポンカン、タンカンの時期に少しキズがあるけど味は変わらずおいしいやつを地域の人に配るようになりました。軽トラの後ろにバーっと積んで、広場の前に持って行くと、集落のみんなが袋を持って家から出てきてくれます」

ここでの暮らしは、自分だけでは完結しない。

奥さんは東京生まれ、東京育ち。仕事で上塘さんと知り合って結婚して、東京から秋目へ。環境のまったく異なる土地であるため、結婚するときは周囲から「絶対に逃げ出す、賭けてもいい」と言われたが、賭けに勝ち続けて今もここにいる(筆者撮影)

上塘さんの父が瀬渡しの受付だけを行い、集落の漁師に仕事を振り分けたように、ひとつの仕事を分担して協力し合いながら取り組んできた地域性がある。その精神は、今の時代にも伝わり残っている。

【もっと読む】人口47人・限界集落で盛況する「峠の茶屋」の実態 では、「地域の総合商社」として集落を支える「がんじん荘」の経営について詳しくお届けしている。

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