久志湾で撃沈された馬来丸の船影(神戸市の戦没した船と海員の資料館所蔵)
〈関連〉戦没者慰霊碑のある丘からのぞむ久志湾=南さつま市坊津町久志
馬来丸戦没者慰霊碑を訪れ追悼する古木健一さん夫妻=南さつま市坊津町久志
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年1月25日午後1時53分、陸軍輸送船「馬来丸(マレー丸)」(4556トン)が鹿児島県南さつま市坊津の久志湾沖で米潜水艦に撃沈され、兵士ら1612人が犠牲となって今年で80年を迎える。慰霊祭は22年前が最後となったが、今も多くの人が慰霊碑に自主参拝する。関係者は「終戦の年に起きた悲劇を忘れない」との思いを深めている。
馬来丸は陸軍第12師団2055人と乗組員57人を乗せ、福岡県門司港からフィリピンに向け航行していたが魚雷攻撃を受け沈没。住民らの必死の救助で約500人は助かったが、多くは極寒の海で亡くなった。79年には遺族や戦友らの尽力で慰霊碑が建立された。
「尊い犠牲の上に今日の日本がある。忘れられていくのは忍びない。戦後80年の節目にいま一度厚く悼みたい」と語るのは元市議の古木健一さん(83)。一般質問で取り上げた縁などもあり毎年数回訪れる。「90年、100年と語り継いでほしい」と呼びかける。
慰霊碑は、旧坊津町から引き継いだ市坊津支所が管理し清掃やお供えをしている。遺族らの高齢化で慰霊祭は2003年に終了したが、慰霊碑前では例年、沈没時間に合わせ遺族や住民、市職員らが黙とうする。
地元の寺では長年、25日に追悼法要を行ってきた。父の代から続ける淳厚寺の兼廣倫生住職(82)は今年も、遺体が漂着した馬込浜で午前9時に読経、午後1時ごろからは慰霊碑前で行う。「特別な日。平和の礎となった戦没者たちに思いをはせたい」と話す。
広泉寺では午前11時から法要。遺体を本堂に安置し浜で火葬した経緯もあり、親子3代で供養してきた。大八木宗司住職(51)は「仏教の教えでもある非戦の思いを継ぎ、伝えていきたい」と語った。
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