日本の核武装が「どう考えても無理」な具体的根拠核兵器の開発は「気合でできる」ものではない

image

日本の「核武装」についての議論は1970年代から続いているという(写真:metamorworks/PIXTA)

国際関係が緊張を増す情勢のなか、折に触れて話題にのぼる「核武装の是非」ですが、元外務省主任分析官の佐藤優氏によれば、日本の核武装はアメリカとの関係だけでなく、技術的な側面からも現実的ではないといいます。佐藤氏が指摘する、日本が「絶対に核武装できない」具体的な根拠とは。

※本稿は、佐藤氏の著書『佐藤優の特別講義 戦争と有事』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

70年代から続く「日本の核武装」に対する議論

日本の核武装という問題は、かなり前から議論されてきました。たとえば、アメリカの研究者ウィリアム・H・オーバーホルトが編集した『アジアの核武装――その可能性と現実』を読むと、1970年代にも、日本の核武装についての意見が述べられていたことがよくわかります。

最近では、アメリカの国務長官だったキッシンジャーが2023年に「この国は5年で核大国になる準備をしている」という発言をしたことでも話題になりました。

この問題は、日本とアメリカだけで話題になっているものではありません。

たとえば、エマニュエル・トッドは『第3次世界大戦はもう始まっている』で、「中国や北朝鮮にアメリカ本土を攻撃できる能力があれば、アメリカが自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません。自国で核を保有するのか、しないのか。それ以外に選択肢はない」と述べています。

トッドのこの発言を肯定するにしろ否定するにしろ、今や日本が安全保障という側面で岐路に立たされていることはたしかです。

核武装はやるなら「極秘」に進めなければならない

アメリカが認めないにもかかわらず、日本が独自に核兵器の開発を行うということはまず考えにくいでしょうが、アメリカの許可を得て核兵器を開発することは可能ではないかという意見は存在しています。しかし、私はその可能性はないと考えています。

アメリカが絶対に核を日本に持たせたくないからです。日本はかつてアメリカと戦争をした国ですから、持たせるはずがないのです。何十年経とうと、アングロ・サクソンという民族は、戦争で敵対した記憶を絶対に忘れないのです。

核武装実現の最大の障害は原発です。アメリカが日本に原発を持たせるということには、2つの意味があります。1つは原子力エネルギーによって日本を、アメリカのウランに依存させるということ。2つ目は核武装させないということです。

これに加えて、日本には核武装を困難にする現実的な問題があります。それは、この国の人々は秘密を守れないという点です。

いったん核武装を行うと決めると、世界中から圧力がかけられます。たとえば、他国で日本製品のボイコットが必ず起きます。そして反日感情が高まり、あからさまな反日運動も多発するでしょう。

だから、核兵器はある日突然でき上がっていないといけないものなのです。核兵器開発は、もしやるなら極秘にやらなければいけません。ですから、どこの国も極秘裏にやっています。

韓国が一時期、朴正煕時代に極秘裏に核兵器開発を行い、アメリカに締め上げられたことがありましたが、このように、同盟国にも絶対に知らせずに開発しなければならないものなのです。今日、核武装計画を立てたら、翌日、それが新聞に出ている日本のような国では、核兵器開発はできないのです。

それから、核シェアリング(共有化)という考え方があります。

この点に関して、トッドは前掲書の中で、「いま日本では『核シェアリング』が議論されていると聞いています。しかし、『核共有』という概念は完全にナンセンスです」と述べ、さらに、「『核の傘』も幻想です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです」とも述べています。

また、現在議論されている核の共有化とは、これまではアメリカがボタンを押せば核弾頭ミサイルが飛んだわけですが、今度は、日本もボタンを押さないといけないということです。

要は、ボタンを2つ押さないと核弾頭ミサイルは飛びません。もちろん日本だけがボタンを押しても核弾頭ミサイルは飛ばないのですが、ただ、アメリカが飛ばそうとした場合の拒否権を、日本が持てるようになる可能性はあります。これが核の共有化の実態なのです。

アメリカへの絶大な信頼に依拠する「非核三原則」

日本には非核三原則がしっかりと存在しています。

日本安全保障戦略研究所編の『日本人のための「核」大事典』にも、「衆議院本会議は、昭和46(1971)年11月24日に沖縄返還協定の可決に際して、核兵器を『持たず、作らず、持ち込ませず』の非核三原則を内容とする『非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議』を採択した。その後、非核三原則は、核兵器に関する日本の基本政策とされ、政府や国会は同原則を繰り返し確認してきた」と書かれています。

ただ、私はこの非核三原則には意味がないと考えています。なぜなら、アメリカは、アメリカの艦船が核兵器を搭載しているか否かについてはいっさい発言しません。核兵器を持ち込んでいてもノーコメントですし、持ち込んでいなくてもノーコメントなのです。

日本が立てている論理は、アメリカとの信頼関係は絶大なので、持ち込むときはアメリカが事前に通告しないことはあり得ないという前提に立っています。ですから、非核三原則は実際には意味をなさないものだと考えられるのです。

このような状況ですので、一部の人は非核三原則を改めて二原則にするべきだと主張しています。そうすれば、有事のときに核兵器を日本に持ち込めることになる。これはきわめて重要なことです。

日本の核武装が「絶対に無理」な構造的理由

勇ましく「日本を核武装化すべし」と唱える言論人がいます。しかし、それは現実的ではありません。核武装化にはハードルが多過ぎるからです。

まず、核実験をどこでやるかという問題があります。辺野古基地の移設でさえあれだけもめているのに、どこの都道府県が核実験場の建設を受け入れてくれるでしょうか。海中でも実験はできません。海中で実験をすると、部分的核実験停止条約に違反します。日本がこの条約に加盟している以上、実験はできません。

もちろんこの条約から離脱すれば、核実験はできるようになりますが、北朝鮮と同じ仲間ということになってしまいます。北朝鮮はこの条約の非加盟国で、核実験を何度も行っています。そしてご存じのように、世界中から厳しいバッシングを受けています。

また、フランスやイギリスの場合を見てみましょう。実は両国には核ミサイルの地上基地がありません。フランスもイギリスも、核ミサイルは原潜にしか積んでいないのです。なぜかといえば簡単な話で、原爆3発くらいで両国は失くなってしまうからです。地上に基地を置いたら狙われるだけですから、地上に基地はつくれないのです。

アメリカのように、ネバダ砂漠やアリゾナ州のような広大な無人地域があったり、ロシアのように広大なシベリアがあるなど、国土が広くないと、地上に核基地は置けないのです。

そうすると、潜水艦への搭載しかなくなります。しかし、原子力潜水艦の技術はどの国も提供してはくれませんから、日本で自力開発するしかありません。それには10年ほどの時間と莫大な資金が必要になる。つまりは、ハードルが多過ぎるのです。

現時点では、日本が原潜を開発するという動きすらありません。なぜなら、原潜を建造するとなれば、そうりゅう型の潜水艦をつくった意味がなくなるからです。

原潜とほぼ同じ性能で、1年中、水中に潜っていられるそうりゅう型の潜水艦を三菱重工と川崎重工でつくっている状況で、それをお払い箱にしてまで原潜をつくるメリットがないのです。

核武装の意図を表明した瞬間、日常生活が破綻する

結局、日本の核兵器開発はがんじがらめの状況になっており、日本は核武装できないようになっているというのが現状です。

佐藤優の特別講義 戦争と有事: ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾危機の深層 (学び直しの時間)

『佐藤優の特別講義 戦争と有事: ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾危機の深層 (学び直しの時間)』(Gakken)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

核兵器開発の問題はメディアのテーマにはよく上がりますが、少し論証していけば、このようにすぐに詰まってしまい、最終的には「それを気合でやるんだ!」という話で終わりになってしまいます。

当然ながら、核兵器開発は気合でできるようなものではありません。

それから、重要なポイントを忘れてはいけません。日本は神風特別攻撃隊をつくった国です。民族の性質は、80年や100年そこらでは変わりません。そんな国に核兵器を持たせたら何をやるかわからないとアメリカは考えています。アングロ・サクソンの国はそういう考えの下で、絶対にドイツと日本には核兵器を持たせないのです。

つまり、根本的には信用していないのです。国家という存在は本来そういうものです。そうでなければ、とっくに世界連邦はできており、世界に平和がやってきているはずです。

結局、日本に核武装は必要ないとともに、政治的・物理的にもできないのです。そもそも日米原子力協定があるので、核武装をした瞬間に、あるいは核武装の意図を表明した瞬間に、日本の原発のウランは全部アメリカに回収されてしまうでしょう。その瞬間に、日本は多くのエネルギーを失い、現在の生活が維持できなくなってしまうのです。

著者フォローすると、佐藤 優さんの最新記事をメールでお知らせします。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官

コメント