なぜ動物の名前?
古代日本の人名は、現代から見ると「なんでこんな名前なの?」と理解に苦しむものがありますね。
古代の戸籍をみると、刀良売(とらめ)、比都自(ひつじ)などのように、男女とも動物にちなんだ名前が多く見られます。
例えば七〇二年(大宝二)の北九州言葉では、登録者の半分が動物にちなむ名前だったといいます。
歴史上の有名人でも、例えば蘇我氏の蝦夷・馬子・入鹿などがありますね。馬と鹿はいうまでもありませんが、蝦はエビのことです。
これは、干支にちなんで名づけられることが多かったからとみられています。
例えば、七二一年(養老五)の大嶋郷(千葉県)の二五戸分の戸籍をみると孔王部刀良売という名前の人が六人もいるのですが、当時、日本にトラは棲息していませんでした。
つまり刀良(トラ)という言葉は実際の動物のイメージからつけたものではなく、十二支という漢字文化の知識が名前に取り入れられた結果なのでしょう。
また、当時の暮らしは、自然が現代よりもはるかに身近にあり、動物とのかかわりも深かったと考えられています。そんなこともあって、人名に自然と動物名を使うことになったようです。
先に蘇我氏の例を挙げましたが、他にも熊鷲、熊、小熊、斑鳩、熊鷲、猿、羊、駒、犬養、鷹養、牛養、鯨、受験受岐、鯖麻呂といった名前も古代には存在していました。
なぜ男性にも「子」?
また、古代の人名に使われていた言葉で、現代の感覚でよく分からないものに「子」があります。
名前に「子」が使われるのは女性だけというイメージが強いと思いますが、実は奈良時代までは男性でもよく使われていたのです。
歴史上の人物で、男性だけど名前に「子」が使われている有名人と言えば小野妹子ではないでしょうか。先述した蘇我馬子もそうですね。
多くの人が、小学校の頃に日本史の教科書でその名前を見て「なんで男なのに子なの?」と思ったことでしょう。
五八九年、中国を久方ぶりに統一したのが隋でした。その隋と国交を結ぶために派遣されたのが遣隋使と呼ばれる使節で、小野妹子はその遣隋使の一人です。
古代の日中外交にあって重要な役割を果たした人物ですが、先述の通り、当時は「子」という文字が男性に使われるのは珍しいことではありませんでした。
実は、「子」は「一族の子弟」というほどの意味であり、女性名特有のものになるのは平安時代以降のことなのです。明治時代になるとそれがさらに広まって、庶民まで広く使われるようになりました。
ただ、小野妹子の名前になぜ「妹」という字が使われているのかは不明です。この文字だけは男性から見た場合の親しい女性全般を指す言葉です。
ともあれ、こうして見ていくと、人名に動物の名前をつける習慣には意外と深い歴史があり、反対に、一般庶民の女性に「子」をつける習慣は実はごく最近のものだったと分かりますね。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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