霧島連山・高千穂峰の小屋を祖父の代から守り続けて100年…3代目「峰守」の勇退に、ねぎらいと感謝あふれる 宮崎・高原町

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高千穂峰の峰守時代の思い出を語る石橋晴生さん=宮崎県高原町蒲牟田

高千穂峰の峰守時代の思い出を語る石橋晴生さん=宮崎県高原町蒲牟田

 宮崎県高原町の委託を受け、霧島連山・高千穂峰(1574メートル)山頂の避難小屋を管理していた同町蒲牟田の石橋晴生さん(75)が、体力の限界だとして勇退を決めた。祖父から3代、100年に及んだ「峰守」。町が登山拠点として整備している皇子原公園旧レストハウスで13日、感謝状贈呈式があり、高妻経信町長や同級生ら30人が長年の労苦をねぎらった。
 避難小屋は、もともと登山者が宿泊できる山小屋で、晴生さんの祖父・国次さんが1924年に山頂下に建て、初代峰守(案内人)を務めた。34年に山頂に移設。57年に現在のコンクリート造りになった。
 父・利幸さん、晴生さんと峰守を引き継いだが2000年、日帰り登山が主流となって宿泊者が減り、山小屋としての役割を終えた。避難小屋となった後も、晴生さんは町の委託で管理人をしていたが、「体力が衰え、山下りが怖くなった」と昨年12月、町に勇退を申し入れ、小屋を無償譲渡した。今後は町が直接管理する。
 感謝状を受けた晴生さんは「寂しい思いとほっとした思いがある。これまで支えてくれた家族や同級生に感謝したい。高千穂峰しか山を知らないので、今後は趣味として山登りを楽しんでいきたい」と話した。
 町は、皇子原公園旧レストハウス内に、峰守3代の写真や使われていた看板や風速計などを展示し、山小屋100年の歴史を伝えていく方針だ。

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