宮崎県特攻179機出撃266人犠牲 全国で2番目の多さ

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 太平洋戦争末期に悪化する戦況を挽回しようと、爆弾を積んだ航空機を乗員ごと敵艦に体当たりさせるために日本軍が編成した神風特別攻撃隊(特攻隊)。県内では、宮崎市の宮崎基地(現宮崎空港)など4カ所から少なくとも計25隊179機が出撃し、266人が死亡したことが、同市の戦史研究家・稲田哲也さん(53)の調べで分かった。出撃、死者数ともに鹿児島に次ぎ全国で2番目に多い。県内の出撃状況をまとめた公的データは乏しく、特攻の実情を知る重要な手がかりとなりそうだ。

戦後80年 宮崎市の特攻基地跡で慰霊祭

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太平洋戦争末期に特攻隊員たちが出撃した宮崎市の「特攻基地」の跡地で6日、慰霊祭が行われ、遺族や地元の人たちが失われた若い命を悼みました。
宮崎空港の前身、旧海軍の赤江飛行場からは、太平洋戦争末期に特攻隊員たちが沖縄周辺のアメリカ艦隊に向けて飛び立ち、131人の若い命が失われました。
空港近くの慰霊碑の前では特攻作戦が本格化した時期にあわせて毎年、慰霊祭が行われていて、ことしも特攻隊員の遺族などおよそ100人が出席しました。
黙とうがささげられたあと、遺族を代表して特攻隊員だった兄を亡くした黒木英子さん(90)が、「特攻に出る1週間前に『俺たちは敵の軍艦に突っ込んで行くんだよ』と話した兄のことばは今も忘れられません」と、慰霊のことばを述べました。
そして、特攻で命を落とした若者たちと同じ世代の20歳の大学生が、特攻隊員の遺書を朗読しました。
このあと、参加者たちは献花をして亡くなった人たちを悼みました。
慰霊祭の実行委員会の後藤徹夫 会長は、「戦後の80年間、日本が戦争をせず平和に過ごせたことを感慨深く思います。特攻の記憶がある人も高齢化が進んでいるので、若い人たちに伝えていくことがわたしたちの使命だと思っています」と話していました。

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