過去を気にするタイプ(他の写真を見る)
夏の日銀金融政策決定会合を受け、市場では秋もしくは年内の「利上げか」と楽観論が広がっている。しかし、日銀内部を探っていくと、そうした楽観論とは裏腹とも言える植田和男総裁の「基本戦略」が浮かび上がる。「拙速な利上げか」「見送りか」――。ハト派色の強い植田日銀の利上げ再開時期を探る。【白戸裕一/ジャーナリスト】
7月末に開催された日銀金融政策決定会合は、金融市場の期待に反してハト派色の強いものとなった。同会合で公表された「展望リポート」は、日米関税交渉の合意を受けて経済・物価判断を前進させたものの、肝心の植田和男総裁の記者会見は、終始、利上げに慎重な姿勢を崩さなかった。タカ派への傾斜を期待した金融市場では円安が進展し、日銀との対話はかみ合っていない。
まず、この間の日米関税交渉の経緯や金融市場の反応、日銀の対応などを簡単に振り返りたい。混迷が懸念された関税交渉だったが、7月23日に急転直下で合意が成立した。高関税が回避され、15%の低位で決着した安心感から日経平均株価は急騰。債券市場では「日銀はやっと利上げに動きやすくなる」(運用会社エコノミスト)との見方から長期金利は上昇基調となった。そして、偶然にもその日に記者会見が予定された内田真一副総裁は「関税合意による不確実性の低下は経済にとってプラスで望ましい」と評価した。
それまで関税交渉の行方が不透明だったことから、日銀は利上げ路線を中断。当面は様子見に徹すると見込まれた。しかし、急きょ、合意が成立。内田副総裁の前向きな評価も受け、「早ければ9月中旬の金融政策決定会合で利上げされるのではないか」(大手邦銀)と期待された。7月末の決定会合は、金融政策は現状維持となっても、「少なくとも植田総裁は秋の利上げに向けて前向きなシグナルを送るはずだ」(同)と当然視された。ところが、冒頭で指摘したように、植田総裁はハト派姿勢を堅持したのだ。
黒塗りの高級車に乗り込む植田和男日銀総裁(他の写真を見る)
過去の手痛い失敗
日銀の現段階における政策スタンスは、交渉合意自体は「不確実性の低下」としながらも、15%関税のこれからの影響を見極める、というものだ。高関税は回避されたが、もともとゼロだった関税が15%に引き上げられており、その分は今後、経済の下押しとなる恐れがある。株式市場は楽観論から急騰するが、日銀としては「浮かれることなく、慎重に見極めたい」(幹部)のだ。植田総裁の言葉を借りると、「不確実性はなお高く、関税の影響で経済が減速に向かい、その程度を見極める必要がある」というわけだ。
植田総裁が金融市場の楽観論に同調しないのは、過去の手痛い失敗の記憶が根強いためであろう。具体的には、2000年8月のゼロ金利解除である。当時、普及するインターネットへの期待から関連株を中心に日経平均株価は大幅に上昇。いわゆるITバブルが起きた。そうした中、日銀は政府の反対を押し切ってゼロ金利を解除。その後、ITバブルは崩壊し、翌年に量的緩和に追い込まれる失態を演じた。この解除強行は政界の日銀不信を招き、その後、アベノミクスに日銀が隷属する遠因となった。
その頃、日銀審議委員だった植田氏が時期尚早としてゼロ金利解除に反対票を投じたのは、周知の事実だ。また、日銀内の雰囲気も憂慮したであろう。当時の速水優総裁(故人)は解除に熱心なタカ派であり、その意向を受けて執行部は金融正常化に傾斜。ITバブルに乗じて解除後も断続的に利上げを進めるシナリオを練った。中立金利が高くなる推計も行い、民間エコノミストらを集めて金融市場への織り込みを進める対話も進めた。植田氏は、トップがタカ派姿勢を示すと、強引な利上げ路線につながる弊害を思い知ったのは間違いない。
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有料記事「なぜ『植田日銀』はハト派色が強いのか――『楽観論』の影で日銀内に広がる『年内の利上げは困難』の真贋」では、慎重な姿勢を崩さない植田日銀の「利上げ」の行方について詳報している。
黒田東彦前日銀総裁(他の写真を見る)
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植田和男日銀総裁(他の写真を見る)
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デイリー新潮編集部
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