クリミア半島は本当にロシア「固有の領土」なのか? 複雑な歴史を振り返る

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ウクライナ南部クリミア半島ヤルタ近郊の観光名所「ツバメの巣」。2014年9月29日撮影(Getty Images)

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は18日、欧州の首脳らとともに、米ホワイトハウスで同国のドナルド・トランプ大統領と会談した。会談では、ウクライナ侵攻を終結させる手段や平和構築の必要性などが協議された。

トランプ大統領は会談に先立ち、自身が創設したSNSのトゥルースソーシャルに、ウクライナが2014年にロシアに一方的に併合された南部クリミア半島の領有権を取り戻すことはないだろうと投稿した。これに対し、ゼレンスキー大統領は、同半島は依然としてウクライナの不可分の領土の一部だと反論した。

クリミア半島の将来を巡る意見の相違はあったものの、ホワイトハウスでの首脳会談は友好的な雰囲気の中で行われた。欧州とウクライナは会談の中で、ウクライナに対する安全を保証することが重要だと強調した。トランプ大統領も、米国がウクライナの安全の保証に協力する意向を示したが、どのように保証するのかは会談中に明言しなかった。欧州とウクライナはまた、戦争の終結方法に関する正式な会議が開催される前に、ウクライナでの停戦が必要だと訴えた。

会談を終えたトランプ大統領の次の目標は、ウクライナとロシアとの三者会談を開くことだ。ゼレンスキー大統領は記者会見で、三者会談の開催を支持すると表明した。だが、実際に三者会談が開催されるのか、またいつ開催されるのかは明らかになっていない。ロシアが占領するウクライナ南部クリミア半島と東部ドンバス地方が、今後どのように処理されるのかも依然として不透明だ。

クリミア半島の歴史

クリミア半島はウクライナ南部に位置するダイヤモンド型の半島で、黒海に面している。面積は約2万6000平方キロに及ぶ。

過去何世紀にもわたり、住民は黒海を利用してトルコなどの近隣諸国と交易し、繁栄してきた。13世紀になると、モンゴル帝国のキプチャク・ハン国がクリミア半島に勢力を伸ばした。キプチャク・ハン国は地元のスラブ民族と交流し、トルコ系をはじめとする黒海沿岸のさまざまな民族と交易関係を築いていった。

このモンゴル系民族が支配する地域は15世紀半ばまでにクリミア・ハン国へと発展し、政治、文化、宗教の面で、近隣のトルコ系やイスラム系の民族の慣習を取り入れていった。クリミア半島の住民はイスラム教を宗教として受け入れ、トルコ系の言語を話した。その後、トルコ系言語とイスラム教を共有するオスマン帝国と関係を結ぶようになり、クリミア半島の住民はクリミア・タタール人と呼ばれるようになった。クリミア・ハン国はオスマン帝国の保護領となり、交易関係を結んで発展した。オスマン帝国は黒海への出口を得る見返りに、クリミア・タタール人を軍事的・政治的に支援した。

クリミア半島はなぜロシアにとってそれほど重要なのか?

18世紀後半になると、クリミア半島は脅威にさらされるようになる。帝国の領土拡大に乗り出したロシアの女帝エカテリーナ2世が黒海に目を向けたためだ。エカテリーナ2世は、ロシアの北部と東部の海域は凍結しているが、温暖な黒海では自国の商船が自由に航行できることに着目したのだ。黒海に進出すれば、ロシア帝国はトルコ海峡を経由して地中海に出ることができ、欧州全土に経済的、政治的影響力を拡大することができるようになる。

帝国主義的な野心と西欧や中欧との貿易権を獲得したいという願望から、ロシア帝国はクリミア半島でオスマン帝国に対して攻撃を仕掛けた。第一次露土戦争と呼ばれるこの戦争では、ロシア帝国とオスマン帝国が1768~74年にかけて、クリミア半島の支配権を巡って争った。ロシア帝国はオスマン帝国を破り、クリミア・タタール人は政治的に独立するものと思われた。だが、ロシアのクリミア半島への関与はこれだけではなかった。オスマン帝国との戦争後も、ロシアは黒海への出口を求め続けた。ロシア帝国はクリミア・タタール人による反乱を鎮圧し、同半島の支配権を獲得。クリミア半島は1783年、ロシア帝国に完全に併合された。

クリミア半島を併合したロシア帝国は、クリミア・タタール人にとって不利なさまざまな政策を実施し始めた。帝国はロシア系労働者を同半島に移住させ、黒海に重要な海軍拠点を築き、港湾都市セバストポリを建設した。半島に移住したロシア人は、現地でロシア語学校やロシア正教会などの文化施設を次々と設立し、影響力を拡大していった。

クリミア半島の人口構成はロシア統治下で大きく変化した。1835年のロシア帝国の国勢調査によると、クリミア・タタール人は半島の住民の8割以上を占めていた。ところが、1897年までにその割合は36%にまで縮小し、ロシア系住民が著しく増加した。その後、1920年代までに同半島の住民はロシア系が過半数を占めるようになった。

ソビエト時代の1944年、最高指導者ヨシフ・スターリンは黒海地域の支配を強化するため、20万人を超えるクリミア・タタール人を半島から追放した。この強制移住により、クリミア半島ではタタール人が激減し、文化的、言語的なロシア化が進められた。

ロシアはなぜクリミア半島をウクライナに移管したのか?

スターリンによるこうした政策にもかかわらず、クリミア半島は長くロシアの支配下にとどまることはなかった。スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフがソビエト連邦の最高指導者となり、ロシアとウクライナの国境が変化することになる。フルシチョフは1954年、クリミア半島の帰属をソ連邦内のロシア共和国からウクライナ共和国に合法的に移管したのだ。同半島は1991年にソ連が崩壊するまで、ウクライナ共和国の管轄下にあった。

ソ連が崩壊すると、東欧からカフカス地方、中央アジアにまたがる連邦内の15の共和国は、独立を問う住民投票を実施した。各共和国の住民は、ソ連の後継国であるロシアに残留するか、新たな独立国家を設立するかの選択を迫られた。その結果、すべての共和国がロシアから離脱し、独立国家を設立することが決まった。

その1つがウクライナだ。ウクライナは1991年、独立を巡る住民投票を実施した。当時の地元の報道によると、92%を超える有権者がウクライナの独立に賛成票を投じた。その際、クリミア半島でも住民投票が行われ、多数の住民がウクライナの独立を支持した。

ウクライナ議会はその後、クリミア半島をウクライナ社会に統合する取り組みを進めた。クリミア半島には自治共和国の地位が付与され、半島の住民にはウクライナ政府の議事手続きの代表権が与えられることになる。ウクライナ政府はクリミア・タタール人の半島への帰還を促す措置も講じた。ウクライナは「追放された人々の権利」を保護するための一連の法律を施行し、「クリミア・タタール人の社会適応政策」を実施した。

一方、ロシア政府は「クリミア半島はロシア固有の領土」だと公に宣言した。さらに、同国はセバストポリを拠点に黒海艦隊の運用を継続することで、クリミア半島での存在感を維持し続けた。ロシアが2014年に初めてウクライナに侵攻するまで、この状況は続いていた。

2014年のロシアによるクリミア併合

クリミア半島の状況は2014年に深刻な状況に陥った。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が国際法を無視し、クリミア半島に軍隊を派遣したのだ。2014年2月、徽章(きしょう)を付けない武装兵士がクリミア半島に現れ、現地の政府庁舎や重要地域を制圧した。クリミア半島の政府は強制的に解散させられ、新たな親ロシア派政府が樹立された。

ロシア政府はクリミア半島の帰属を巡り、ウクライナにとどまるかロシアに再編入されるかを住民に問うと表明した。その結果、ロシア政府は住民の97%が同国への再編入に賛成票を投じたと発表したが、米AP通信をはじめとする西側の報道機関は、この住民投票は「不正に仕組まれた」演出だったとの見方を伝えた。国連に加盟する世界100カ国以上が、ロシアによる一方的なクリミア併合は国際法違反だとして認めないと表明した。米国、英国、欧州連合(EU)など西側諸国は、クリミア併合を巡ってロシアに制裁を科した。

それにもかかわらず、ロシア議会は憲法を改正し、クリミア半島はロシア領の一部であるとする条項を盛り込んだ。それ以降、プーチン大統領は同半島がロシア領であるとして、支配権を放棄する意向はないと繰り返し表明している。同大統領はかつて、ロシア政府の公式ウェブサイトに掲載された論考の中で、クリミア半島はソビエト時代に施行されていた「法規範に著しく違反して」ウクライナ共和国に割譲されたと主張。「ロシアは略奪されたのだ」と論じた。

一方、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)やアムネスティ・インターナショナルなどの国際人権団体は、クリミア半島でのロシアによる人権侵害の状況について調査を行っている。2024年に公表されたアムネスティ・インターナショナルの報告書によると、ロシア当局は宗教文献を摘発するために、主にクリミア・タタール人を標的に家宅捜索を行っている。同半島に居住する100人以上のイスラム教徒が根拠のないテロ関連の容疑で起訴された上に、最長24年の懲役刑を言い渡され、ロシアで服役しているという。報告書はさらに、同半島内でロシア語以外の言語で活動する報道機関や放送局はロシア当局への登録を拒否されており、実質的に活動が違法となっていると指摘した。

クリミア半島を巡る争いは今日も続いている。最近では、クリミア半島の領有権が18日のホワイトハウスでの首脳会談でも議論され、ゼレンスキー大統領は、同半島はウクライナに帰属すると改めて強調した。トランプ大統領はゼレンスキー大統領、プーチン大統領との三者会談の開催を試みており、会談が実現すれば、クリミア半島やドンバス地方など、ロシアが占領するウクライナの地域が重要な議題となるだろう。

トランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談

トランプ大統領は18日の会談に先立ち、ウクライナはクリミア半島に対する領有権の主張を放棄するよう求めるロシア側の要求を考慮しなければならないとSNSに投稿した。だが、会談後は同半島には言及せず、「ロシアとウクライナの平和構築の可能性について誰もが非常に喜んでいる」と投稿した。

クリミア半島がどのようにしてウクライナに返還されるのかは誰にも分からない。いずれにせよ、西側諸国の首脳がゼレンスキー大統領との対話を続ける上では、ウクライナに属していた同半島のクリミア・タタール人やその他の先住民の声に耳を傾けるべきだろう。

会談後のゼレンスキー大統領のX(旧ツイッター)への投稿は、クリミア半島への言及を意図的に避けつつ、代わりに「安全の保証」と、歴史的にウクライナのクリミア半島に対する領有権を認めてきたEUの「結束と揺るぎない支援」に焦点を当てていた。ロシアとウクライナの首脳は早ければ2週間以内に交渉を開始する可能性がある。クリミア半島は、平和構築か戦争継続かの分かれ目となる重要な問題となることは間違いない。

forbes.com 原文

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