岸田内閣は1日に総辞職し、約3年の政権運営に幕が下りる。岸田文雄首相を退陣に追い込んだ自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と議員の接点を巡る問題など、安倍晋三元首相と関わりがある事柄の影響を色濃く受けた。説明を求める国民の声に「聞く力」は発揮されず、政策面を含めて政治不信を解消できなかった。(坂田奈央)
◆「聞く力」を看板に掲げたが
9月30日朝、官邸に入る岸田文雄首相(佐藤哲紀撮影)
「今、国の内外で難しい大きな課題が山積している。石破(茂)総裁には強い政権をつくってもらいたい」。岸田首相は27日の党総裁選後、記者団の取材に答え、政権を引き継ぐ石破氏にこのように要望した。
首相は2021年10月の就任時、「聞く力」や「丁寧で寛容な政治」を約束。直後の衆院選で自民は絶対安定多数を確保した。22年7月の参院選も勝利すれば25年まで国政選挙がなく、政権が政策遂行に集中できる「黄金の3年間」が待っていると当時は評された。
◆「国葬」を独断で決定、暗転
だが、参院選期間中に起きた安倍氏の銃撃事件が潮目を大きく変えた。首相が安倍氏の国葬開催を国会に諮らずに閣議決定し、国論を二分する問題となった。
事件を受けて教団と安倍氏の深い関係が指摘されたが、首相は調査しない方針を貫いた。教団と党との「関係断絶」を宣言したものの、党内調査は自己申告制にするなど実態解明には後ろ向きな姿勢を印象づけ、支持率も急落した。
政権の運命を決定づけたのは裏金事件だ。一部議員や会計責任者らが立件され、党として議員ら計39人を処分すると、首相の退陣論が公然と出始めた。
◆防衛費大幅増へ「歴史的転換」
政策では、戦後の安全保障政策の大転換を図る「安倍路線」を継承、防衛力強化に取り組んだ。22年12月に安保関連3文書を改定。防衛費を27年度に国内総生産(GDP)比2%とすることや、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有を決めた。
一方で、国民への丁寧な説明が足りないとの批判が付きまとった。防衛増税の開始時期ははっきりせず、「異次元の少子化対策」でも、安定財源として創設を決めた子育て支援金に関し「実質的な負担は生じさせない」との説明に終始。分かりづらさが国民を困惑させた。
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