ベネズエラへの軍事介入と成果を強調するトランプ大統領。26年早々、ついに資本主義は「滅亡の始まり」を迎えたのかもしれない(写真:ブルームバーグ)
前回は「2026年にすべてが変わる、資本主義は滅ぼされる」と書いたが、正月3が日のうちにそれが実現してしまった。それが誰の目にも明らかになるような事件が起きた。事件とは、もちろん、アメリカのベネズエラでの軍事行動である。
アメリカの軍事行動は「資本主義終焉のさらなる証しの1つ」に
この軍事行動の法的正当性などは、今回の論点でない。最も重要なことは、この事件で株価が大きく上昇したことである。攻撃の翌日、5日の日経平均株価は1493円も上がり、同日のアメリカの株式市場も大幅上昇した。その翌日も日経平均は大幅上昇を続け、史上最高値を更新したのである。
世界秩序を破壊する軍事行動が、株価を大幅に引き上げる。経済にプラスだと評価される。しかも、攻撃したアメリカのトランプ政権も、「石油のため」などと堂々と主張する。「アメリカファーストの政策だ」と。この世の終わり以外の何物でもない。
しかし、これは驚きでも何でもない。これこそ、資本主義が終焉を迎えていることのさらなる証しの1つだからだ。
前回も書いたように、近代とは国民国家、資本主義、民主主義であり、この3つはセットだ。近代が終わるときは、3つが同時に終わる。力による現状変更が「普通のこと」になった今、民主主義の終わりは明白だ。国家同士が民主的に世界平和を目指す時代は明確に終わった。
同時に、国内の民主主義も分断が明白であり、危機であることは明白で、あとははっきり終わるか、代わりがないから、凶暴な群衆のムードが「民主」となって、社会を壊し続ける「最悪の民主主義」が残り続けるか、のどちらかだ。
国内の民主主義が終わるということは、国民国家という擬制、国家同士の戦争のための動員メカニズムも終わる。戦争は国家総動員の世界大戦から、権力者や、それとつながった一部関係者による、彼らの個別利害のための地域同士の小競り合い、または強者による弱者からの収奪に成り下がっていくだろう。
攻撃を仕掛ける側の国民は、それに無関心になっていく。なぜなら、攻める側は、一部のプロフェッショナル精鋭部隊とドローンなどのコストパフォーマンスのいい兵器による、安上がりな戦争、多少のカネを使えば済むものになるからである。収奪される側は、そのようなプロも力も持っていないから、国民全体が収奪されることになるが。
ここで重要なことは、戦争やそれに類する攻撃が、単に経済的利益のためだけに行われ、それを地域の平和秩序維持とか民主主義を実現するなどという「正義」でカムフラージュすることすらなくなっていることだ。世界は、社会も理念も関係なく、すべては経済的利益が優先する、ということが全面的に確定したのだ。つまり、社会は資本主義に乗っ取られたのである。
前回、「資本主義は、国家が勢力を拡大するために利用した、国家(帝国主義国家と言えばもっとなじみのある雰囲気になるかもしれない)の道具だった」と述べた。逆に言えば、資本主義は国家同士の争いを利用して、国家に寄生して膨張してきたのである。
資本主義という寄生虫も「宿主」の近代民主主義国家とともに死んだ
しかし、今回のことは、資本主義が寄生してきた国民国家、近代社会が寄生虫に乗っ取られてしまった、つまり、食い尽くされて死んでしまった、ということを示している。
資本主義はますます発展し、資本主義の膨張はさらに拡大するのではないか、むしろその証しなのではないか、と思うかもしれない。違う。寄生虫は寄生主(宿主)が死ぬときに死ぬのである。資本主義が膨張しすぎて、社会を乗っ取った。寄生虫が寄生主を乗っ取った、寄生主は死んだ。だから、資本主義も近代民主主義国家とともに死んだのである。
前回、資本主義とは差を利用して儲ける(収奪する、搾取する)メカニズムであり、その差の本質とは「時間」の「差」であることを述べた。今回強調すべきは、もう1つの資本主義の本質、「国家同士」を争わせることによる利益の獲得による膨張メカニズムである。
近代における欧州を中心とする国民国家同士の争いとは、国という本拠地を定め、そこに地縁のある民族を動員し、結束して、隣地、他国と戦うという現象である。資本を優遇し、この動員メカニズムに招き入れたことで、資本主義が膨張した。
「流動性」という価値を極大化、寄生し膨張した資本
このときに重要なのは、国家は固定するメカニズムであるが、資本は流動し続ける存在であるということである。そもそも、資本主義の始まりとは、1492年以降の人とカネの流動化によるものであるから、資本主義における資本の本質は「流動」なのである。だから、どこの国にも動員されうる。
国家は「民族」や正義や正当性を与えるための「理念」という色がついているが、資本には色はない。どこにでも行ける。どこの国にも動員されうる。どの陣営につくこともできるのである。資本をカネや貨幣と読み替えれば、それの最大の価値は「流動性」である。何でも買うことができる。モノに買われることによって何にでも変わることができる流動的な存在であることが、この意味でも本質なのである。
この結果、「国家」という固定化メカニズムに寄生して、膨張していった。そして、寄生先を次々と移っていった。19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルトの議論とも似ているが、資本はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと寄生先を移していき、移った先が、近代欧州の覇者として君臨したのである。
また資本は植民地へも流動し、寄生先を増やし膨張していったのである。フランスとイギリスの植民地争いで、フランスは資源などの収奪という目的で、資本は植民地という寄生先で固定化されたが、イギリスにおいては、三角貿易に象徴されるように、植民地でも移動を続け、移動しながら最高の寄生先を探し続け、さらなる膨張を実現していった。それがイギリスの勝因の1つでもあった。
資本にとって最高の寄生先になったのが19世紀以降のアメリカである。アメリカは自由で流動性が高く、戦争の勝ち組に乗るという寄生方法から、戦争よりも、より効率的、より生産的な企業の膨張に参加する方法に乗り換えた。これにより資本の膨張スピードは加速し、アメリカの経済的発展とともに、世界を経済的、金融的に支配してしまった。これが限度を知らずに暴走し続けたため、21世紀には、国家よりも企業のほうが世界の主役になってしまった。国家は企業の機嫌をうかがい、企業の背後にある資本の言いなりになってしまった。
しかし、このとき、資本の側も、人々も、基本的な事実を忘れてしまっていた。資本主義の資本とは、国家に寄生することによって膨張を続けてきたことを。所詮、寄生しているにすぎないことを。
なぜアメリカ資本主義が世界を支配できたか。それはアメリカが国家として世界秩序を支配してきたからである。東西ドイツが統一した1990年までは少なくとも西側世界を固定化し、安定化させてきた。そのもとで、その広い西側世界を自由に流動することによって、資本は膨張できた。
1990年以降は、東側も自由に流動できる領域となり、膨張は爆発的に拡大した。しかし、これはあくまで、国家やそれらの集合としてのアメリカの覇権の下での世界秩序の存在に基づいていた。世界が固定されていたからこそ、資本は自由に流動できたのである。
「国家以外の固定される先」を求め、本質を変える資本
ところが、今回、世界は固定化を完全に放棄した。国家たちの側でこれを放棄した。アメリカが放棄すれば、ほかの大国も追随して放棄する。となれば、資本は固定されている枠組み、寄生する対象を失う。だから、滅びるのである。
そして、資本はその本質を変える。固定化されている枠組みだから流動したのであって、枠組みが流動化すれば、固定される先を求める。自ら固定化されようとするようになる。だから、資本は流動化の速度を落とし、資本固定化の時代に入るのである。
まさに、近代資本主義が終わり、変わること、動くことが、最大の価値であった世界が終わり、固定化された、繰り返しの世界、継続の世界になるのであり、資本の本質が180度変わり、新しい時代に入るのである。
国家が利益を求めて自由に右往左往しようとすればするほど、企業も資本も、居場所を固定しようと、国家以外の固定メカニズムを探す。
それは国家が規定してきた通貨からの離脱でもあるし、国家を介さずに社会を取り込もうとする動き、善意であれ(例えば、社会的意義をより重要視する経営方針になる)、悪意であれ(人々を自分たちのサービス、財に依存するように、麻薬的なサービスや財を提供したり、プラットフォームや生活インフラとして使うことが避けられないようにしたり)、これらが加速する。
トランプ政権のベネズエラ襲撃に始まった26年は、まさにこの変化の実現が進む1年となるであろう。経済や金融市場でも、それがあからさまに現れるようになるだろうが、それはまた次回以降に議論したい。なお、「東洋経済オンライン」(会員限定)では、21世紀以降、22世紀への新しい経済と経済学について、9日から新連載「小幡績教授のアフターエコノミクス 22世紀の経済理論へ」を開始した。そちらでも議論していきたい(今回は競馬コーナーは休載です。ご了承ください)。


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