北朝鮮はウクライナ戦争で6000人超の戦死者を出した。派兵した兵士の4割超を失った計算になる。「金正恩の大失敗」と指摘する声もあるが、防衛大学校共同研究員の伊藤隆太さんは「問題は犠牲者の数ではない。生き残った兵士がドローン、電子戦、現代戦の知見を朝鮮半島へ持ち帰るとき、128万人の軍隊が変わる。日本が警戒すべきなのは、まさにその変化だ」という――。
ウクライナ派兵で「英雄」が量産された
北朝鮮は2024年秋以降、ロシアとの軍事協力でウクライナ戦線へ推定1万4000人を派兵してきた。クルスク方面の消耗戦に投入された彼らのうち、6000人超が戦死したとされる。これは派兵された兵士の4割超を失う計算になる。
これだけの大損害が報じられれば、「派兵は北朝鮮にとって大失敗だった」と笑う声が日本に広がるのも無理はない。だが、それで話は終わらない。
北朝鮮は2025年以降、ロシアへ派兵した兵士を「英雄」として大々的に顕彰してきた。
2025年8月22日に配信されたロイターの記事によれば、金正恩氏はロシアから戻った帰還兵を含む式典で兵士を表彰し、戦死者の子どもを抱きしめてみせた。2026年4月27日には、ウクライナ戦争で死亡した北朝鮮兵をたたえる「海外軍事作戦戦闘偉勲記念館」の開館も伝えられている。
写真=朝鮮通信/時事通信フォト
2026年4月26日、平壌の海外軍事作戦戦闘偉勲記念館を見て回る金正恩朝鮮労働党総書記(前列左)とロシアのウォロジン下院議長(同中央)、ベロウソフ国防相(同右)
それ以外にも、実生活に影響する“ご褒美”も用意された。3月30日に配信された朝鮮新報の記事によれば、平壌に「セッピョル通り」と名付けられた新住宅地区が帰還兵のために建設され、約50棟2500戸の規模を誇っているという。1戸あたり居室3室と台所、洗面所、ベランダを備え、肘掛け椅子、テレビ、食卓、ベッド、机といった家具・家電が一式そろえられた状態で引き渡されている。
地区内には商店、食堂、理髪店、美容院、浴場まで整備されており、住宅だけでなく日々の生活基盤ごと国家が用意する形になっているのだ。
名誉は与えられるが、報酬は削られる
さらに重要なのが、この新住宅地区が平壌に建設されたということだ。北朝鮮では、首都・平壌の新しい住宅地区に入り、最高指導者親子が新居を訪ねること自体が、政治的にも生活上も特権的な処遇を意味する。住宅は、生活上の恩恵であると同時に、戦死を国家的名誉に変える舞台装置でもある。
ところがその裏で、兵士本人への金銭的報酬は冷たく削られている。
2025年3月27日に配信された東亜日報の記事によれば、ロシア派遣の北朝鮮兵は1人あたり月2000ドル程度を受け取るはずだが、本人に渡るのは400〜500ドル程度で、残りは北朝鮮当局に上納されているとの証言がある。別の証言では、報酬をまったく受け取っていない兵士も相当数いると伝えている。
兵士は報いる対象であると同時に、外貨を生む労働力であり、国内に忠誠を示す宣伝材料でもある。勲章、記念施設、住宅は、体制が戦場の死を政治資源に変える道具になっている。「命を差し出せば一族が名誉を得る」という物語が国民に向けて演出される一方で、肝心の本人の懐には半分以下しか入らない。この矛盾こそ、金正恩体制が戦争を利用する論理をよく示している。
北朝鮮軍にとって「72年ぶりの実戦」となった
だが「英雄扱いと給与搾取」という矛盾だけを見ていると、もう一つの、日本にとって遥かに重い意味を持つ事実を見落とす。
先述の通り、ウクライナ戦争で北朝鮮兵は6000人超が死亡したとみられている。この数字だけを見れば、「北朝鮮は大きな損失を出した」と考えたくなる。実際、その見方には一定の根拠がある。
だが、安全保障上の本質はそこでは終わらない。現代戦では、敗北や大損害もまた学習材料になる。どの部隊編成が壊滅しやすいのか。どの補給線が狙われるのか。ドローンに見つかる兵士の動きは何か。生き残った者は、その答えを体で覚えている。
北朝鮮は朝鮮戦争を経験した国家であり、特殊部隊や砲兵を重視する軍でもある。だが、朝鮮戦争以降、正規軍が大規模な現代戦を継続的に経験する機会は限られてきた。その休戦から72年経ち、ベトナム戦争や第4次中東戦争などへの派遣はあったが、戦闘機パイロットや訓練要員としての関与が中心で、自国の正規部隊が師団規模で現代戦を指揮した事例はない。
戦場でドローンを使うのも初めて
また、2025年2月25日に配信された日本経済新聞の記事によると、脱北元兵士が「ドローンとの交戦は初めてだろう」と語っている。局地的な衝突や特殊作戦の経験はあっても、ドローン、電子戦、精密火力、衛星・通信情報が同時に絡む戦場を部隊単位で体験することは、従来の訓練では得にくかった。
ウクライナ戦争を経た北朝鮮軍は、もはや完全に実戦から隔絶された閉鎖国家の軍隊ではなくなりつつある。失敗をした軍隊は弱い。しかし、失敗を持ち帰って訓練に変える軍隊は、次に違う姿で現れる。日本が警戒すべきなのは、まさにその小さな変化だ。
軍隊が学ぶのは、派手な新兵器の使い方だけではない。集合場所をどこに置くか、無線をいつ切るか、車両をどこで止めるかという細部も、軍隊の強さに大きく影響する。
ついに「実戦的な訓練」が始まる
帰還兵の経験は、本人の武勇伝で終わらない。北朝鮮のような強い統制を持つ軍では、戦場で得た教訓が上から下へ、また下から上へと吸い上げられ、訓練や部隊運用に組み込まれる可能性がある。地雷原の進み方、砲撃下での散開、負傷者の後送、夜間の移動、塹壕の掘り方、通信を切られた時の行動。こうした細部が、次の兵士に教えられていく。
2026年5月18日に更新されたロイターの記事によれば、金正恩氏は全軍の師団長・旅団長級の指揮官会議で、現代戦の変化を反映して訓練体系を調整し、実践的な訓練を拡大し、作戦概念を再定義するよう求めたとされる。
もちろん、この会議だけで帰還兵の経験がすべて教範化されたと断定することはできない。だが、北朝鮮指導部が「現代戦に合わせた訓練変更」を語っている時期に、ロシア派兵の経験が蓄積されている事実は軽くない。生還した下士官や将校が訓練部隊に戻れば、新兵教育の内容は変わる。指揮官が会議で報告すれば、作戦計画の前提も変わる。
帰還兵が教えるのは、勝ち方だけではない。むしろ重要なのは、死に方を避ける方法だ。ドローンに見つからない移動、砲撃前に散る判断、補給が切れた時の行動は、朝鮮半島に戻れば部隊の生存率を上げる知識になる。
なお、2026年5月7日に配信されたロイターの記事によれば、韓国当局者や専門家は、北朝鮮がロシアへのミサイルや砲兵装備の供給を通じて自国兵器に関する貴重な戦場データを得ているとみている。命中精度、不発率、輸送中の劣化――兵器の戦場での「採点表」も、兵士の経験と並んで朝鮮半島に蓄積されている。
128万人の軍隊が「別物」に変わる
日本にとって最も危険なのは、北朝鮮兵が何人死んだかではない。生き残った兵士、指揮官、軍組織が、ドローンによる索敵、砲兵との連携、電子戦、塹壕戦、後方補給、戦時動員の知見を朝鮮半島へ持ち帰ることだ。
問題は、北朝鮮軍が「こうした戦争の形」に近づいたとき、どれだけのものを日本に向けられるかだ。令和7年版防衛白書によれば、北朝鮮の総兵力は約128万人で、情報収集や破壊工作に従事する大規模な特殊部隊を保有する。日本のほぼ全域を射程に収める準中距離弾道ミサイル・ノドンは配備済みで、防衛白書は「核兵器の小型化・弾頭化はすでに実現し、日本を攻撃する能力を保有しているとみられる」と踏み込んでいる。
この既存の戦力に、ウクライナ戦場で得た「ドローンの避け方」「砲兵との連携」「電子戦下での部隊運用」「戦時動員の回し方」が重なるとどうなるか。地雷原を200万人がかりで突っ込む朝鮮戦争型の軍隊が、ドローンと砲兵を組み合わせる軍隊に変われば、朝鮮半島の戦力均衡だけでなく、対岸の日本の備えの前提も書き換わる。
北朝鮮軍がウクライナ戦争で学んだ体制を整えれば、影響は自衛隊や在日米軍だけにとどまらない。港湾、空港、燃料、通信、物流、発電所などの民間インフラは、有事の後方機能になり、日本企業の事業継続計画(BCP)も揺さぶる。
北朝鮮軍を、旧式で閉鎖的な軍隊とだけ見るのは危うい。もちろん、北朝鮮には古い装備、硬直した指揮系統、兵士の人権軽視、補給の弱さがある。だが、それだけで安心できるわけではない。弱点を抱えた軍隊でも、戦場で学べば変わる。
「北朝鮮の失敗」を笑っていられない
朝鮮半島で危機が起きれば、日本は後方から支える側に回る。米軍基地、港湾、空港、燃料施設、通信網は、軍事と民間の境目が曖昧な場所だ。ウクライナ戦場で北朝鮮兵が学んだのは、まさにそうした施設をどう叩き、どう守るかという作法でもある。
もちろん、ウクライナ経験がそのまま朝鮮半島の戦争に置き換わるわけではない。だが、ドローンに見つからずに動く歩兵の歩き方や砲撃下の散開、補給切れでの継戦判断は、戦場が変わっても応用が利く。北朝鮮が72年ぶりに手にした「現代戦の体感」は、実戦的な訓練に落とし込まれていく。
問われるのは、日本側の構えだ。「6000人戦死、まともな報酬もない、笑える失敗」と片づけてしまえば、もっとも大きな代償を払うのは、過小評価した側になる。
日本に必要なのは、過小評価する安心感ではなく、変化する軍隊を冷静に見る目だ。ウクライナ戦争は北朝鮮軍に実戦経験を積ませ、次なる戦いに備えるための予行演習として機能したと考えるべきだろう。
ウクライナ戦争の本当の代償を払うのは、6000人を失った北朝鮮ではない。それを「失敗」と笑い、備えを怠った国のほうだ。
防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント






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