【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史 | きばいやんせ!鹿児島

【2位→39位に転落】なぜ日本だけ「成長」が止まったのか? かつて世界を驚かせた「経済大国」の歴史

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朝日新書『日本経済はなぜ沈下したのか』は金融から社会保障まで、分野別の具体策まで踏み込む本格的再建論(写真はイメージです/GettyImages)

 かつて世界2位の経済大国だった日本。だが今、日本の1人当たりGDPは39位まで後退した。この落差をどう考えればいいのか。日本経済の現在地を理解するには、「失われた30年」だけではなく、成長していた時代から見直す必要がある。バブル崩壊後35年の全軌跡を膨大なデータと歴史から総点検した朝日新書日本経済はなぜ沈下したのかから、一部抜粋してお届けする。

*  *  *

第1章 日本の成長時代―明治からバブル崩壊まで

 若い世代にとっては、物心ついてから日本の経済は不振であり、最近までの中国と同じように世界に驚かれた高成長の時代があったことを、想像できない向きもあると思う。また、バブル崩壊までは順調な高度成長で波乱も苦闘もなかったというイメージがもたれている場合もあろう。しかしどちらも事実とは違う。前提として発展・上昇の局面についておおよそを知っておくことは、現在を判断するために不可欠である。

 そこで本章では、明治のスタートからバブル崩壊までの発展の歩みを、圧縮して概観する。

 1で、近代の経済発展を世界史の中で位置づけてみる。

 2では、①戦前期の発展、戦時・戦後初期における大幅な変革、 ②1955年ごろ以降の高度経済成長、③70年代の高度成長終幕と屈折・波乱をへて、80年代後半のバブル経済まで、の順で経過を跡づける。さらに、④1990年代初めのバブル崩壊以後の時代についても、ここで概略のみ見通しておく。

 3では、次章以降でみる近年の停滞と対照するため、あらためて高度成長期の特徴を整理する。

1 なぜ世界は19世紀に成長を始めたか
(1)「近代の成長」とは何だったか

成長が加速した転換点

 世界的に、近代に入って経済の成長・発展が加速した。一般に、量的な拡大を成長(growth)、これに経済・社会の質的な変化を加えて発展(development)と呼び、本書もこの用語に従う。

 長期にわたるGDP(国内総生産)などの数値を知りたいものの、古い時代ほど統計がないので、多くの仮定を設けて推計するほかなく、厳密さを求めることはできない。それでも、大規模な歴史推計作業を行なったアンガス・マディソン(Angus Maddison:1926〜2010)とその後継プロジェクト(Maddison Project)などに至る多くの経済学者の努力の成果は、参考になる情報を提供してくれる。

 それらによれば、前近代までの成長はごくゆっくりしたものだったが、18世紀(1700年代)後期からのイギリスのいわゆる産業革命を先頭に、19世紀に近代経済発展が始まった。マディソンらのOECD(経済協力開発機構)の推計によると、世界のGDPの年平均成長率は、1500〜1820年の間が0・33%(1人当たりは0・04%)であったが、1820〜1992年には2・17%(1人当たり1・21%)に大きく上昇したとされている(*1)。

 もう少し区分してみると、成長率は1870〜1913年が2・1%、2つの大戦を挟む1913〜50年に1・9%といったん下がり、1950〜73年がひときわ高い4・9%、1973〜98年3・0%となっており(*2)、2000年以降は3%台とやや高い水準にある(*3)。

 この間、量的に拡大しただけでなく、社会のあり方、人々の生活といった質の側面も急速かつ大幅に変わった。

中国とインドが世界最大の経済大国だった

 右にふれたマディソンらのプロジェクトのデータによって、日、米、英、独、仏、それに中国、インドのGDPの長期的推移を、1820年からみたのが表1―1である。

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『日本経済はなぜ沈下したのか』から

 各国のGDPを購買力平価(物価比)で1990年の米ドル単位に換算しているから、物価上昇分を差し引いた実質GDPに近い意味をもつ。1990年以降は現行のIMF統計にもとづくので、それ以前と接続しない。なお1990年時点での前後両統計の数字を比べてみたところ、独・中を除いて相違はさほど大きくなかった。またIMF統計は当年の米ドルに換算している点も異なる。したがって表の2023年の数字は名目(当年価格)GDPにあたり、米国の物価上昇によりインフレート(水増し)されている。これらの点に注意しよう。

 表から次のことが読みとれよう。

 1820年には、中国とインドが1位・2位の、しかも他と隔絶した経済大国だった。日本も欧米の大国とさほどの差はなかった。この時点では欧米はまだ他の世界を圧倒する経済力をもってはいなかったのである。

 次いで、日本の成長開始期である1885年になると、世界経済のバランスが大きく変わり、日・中・印が横ばいに近いのに対して、欧米が産業革命で急成長し、支配的な位置につく。

 2つの大戦による波乱をへた1950年をみると、日本は、米には及ばないものの、第2次大戦前に急速な発展を達成している。中・印をはじめとする、のちに発展途上国と呼ばれることになる地域は、停滞を続けた。なお物価比での換算のため、物価の低い中・印の数字は一貫して為替レート換算よりかなり大きく出ている。

 第2次大戦後は世界経済の成長率も高いが、そのもとで日本の成長は驚くべき高率を達成し、欧州諸国を抜いて米に次ぐ経済大国になった。

 しかし、1990年以降こんにちまでの期間には、日本は停滞し、地盤沈下した。それに対して中国、次いでインドが驚異的な発展をみせた。超長期でみれば、欧米が独走した時代をへて、かつてのバランスに戻る動きともいえる。

 今度は表1―2で、国民1人当たりGDP(おおよそ経済水準を示す)の移り変わりをみよう。作成の枠組み、読み方の注意点は前表とほぼ同じである(ここでも低物価の国の数値は高めに出る)。前表にアジアの数か国を加えて、その経済水準の推移もみる。以下のことがいえるであろう。

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『日本経済はなぜ沈下したのか』から

 1820年時点では、英が2千ドルと先行しているが、米・独・仏は1千ドル水準で、アジア諸国との差はまだ小さい。1885年をみると、アジアはほぼ横ばいだったのに対し、欧米は2倍以上に上昇した。日本もここまではアジア平均レベルにある。おそらく幕末から明治初年の時期に欧米との差が最大になっていたとみられる。

 1950年には、日本は戦前の成長によって欧米との差を縮めたあと敗戦で後退し、2千ドル水準であった。中・印などアジアは停滞が続いた(この時点ではマレーシアやフィリピンが他より高い)。

 しかしこのあとの戦後日本は、高度成長によって1990年には2万ドル水準に達し、欧米に並んでいる。韓国・台湾も特に1970年以降、日本に続いて上昇を実現し、90年には1万ドルに近づいた。同年の中・印は急成長の直前で、まだ低迷していた。

 1990年以後こんにちまでは、日本は停滞に転じて、上昇幅は他の諸国に比べてかなり低く、台湾・韓国に抜かれ、直近で5万ドルと、イタリア・スペイン・ポルトガルなど南欧グループの水準にある。中国の上昇は驚異的で2万ドルを超え、インドも1万ドルに達した。マレーシアも4万ドル、タイ2万ドル超などとなったが、フィリピンはやや低い。

title日本経済はなぜ沈下したのか 「正しさ」が招いた35年の停滞 (朝日新書)author伊藤 修data朝日新聞出版※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。

【著者】伊藤修(いとう・おさむ)/1956年、長野県生まれ。埼玉大学名誉教授、博士(経済学)。東京大学経済学部卒業。神奈川大学教授などをへて、埼玉大学教授。理事兼副学長などを歴任。

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(朝日新書『日本経済はなぜ沈下したのか』から一部抜粋)

>>アジア諸国の多くが停滞するなか、日本はいち早く経済成長への「離陸」に成功した。 成長する国と停滞する国を分けたものは何か。また、日本はなぜ再び停滞へと向かったのか。話題の新書日本経済はなぜ沈下したのかではバブル崩壊から30年、日本停滞の真因を解剖している。

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