歴史 | ページ 8 | きばいやんせ!鹿児島

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80年前のきょう 特攻隊のゼロ戦8機に出撃命令 「本来であれば私の命日だった」 元隊長が語った戦争と平和

今から80年前のきょう、昭和20年(1945年)4月16日の未明、第二昭和特攻隊のゼロ戦8機に出撃命令が下りました。「本来であれば私の命日だった」そう語ったのは特攻隊の元隊長、丸茂高男さん(甲府市)。戦争の体験を聞いたのは平成から令和にかわ...
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パイロット養成施設から特攻作戦の拠点へ 戦後80年 鹿児島・知覧に残る遺品が私たちに伝えていること

太平洋戦争が終わって80年となる2025年、鹿児島テレビでは様々な切り口で鹿児島の「戦後80年」に迫り、戦争と平和について考える。今回は1945年、4月1日に鹿児島から初めて出撃した「特攻」について取り上げる。1945年4月1日 知覧から特...
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24歳の特攻隊員が遺書に残した両親への感謝と「一艦轟沈」…どんな思いだったか 出撃地・万世の慰霊祭で高校生が朗読、遺族は涙

隊員の遺書を朗読する高校生=13日、南さつま市の万世特攻平和祈念館 詳しく鹿児島県南さつま市の万世特攻平和祈念館であった慰霊祭で、加世田と鳳凰高校の放送部4人が特攻隊員の遺書を朗読した。戦後80年の節目に同世代の若者が残した手紙を読み上げ、...
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「鬼島津」島津義弘、その壮絶なる退き口と死闘の人生

画像:島津義弘像 イメージ戦国時代、九州に「鬼島津」と恐れられた猛将がいた。島津四兄弟の次男、島津義弘(しまづ よしひろ)である。彼は幾多の戦場において抜群の武勇を発揮し、その勇猛果敢な戦いぶりは敵味方を問わず畏敬の念を抱かせた。今回は、薩...
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出撃前、18歳特攻兵は謝罪と感謝をつづった。相手は継母。ついぞ言えなかった言葉を最後に3度、力を込め書いた ミズーリ記念式典で朗読

式典で読み上げられた相花信夫少尉が母親に宛てた手紙=南九州市の知覧特攻平和会館 「お母さん、お母さん、お母さん」-。米ハワイの戦艦ミズーリ記念館で11日にあった追悼式典。鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長(57)は、旧陸軍知...
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吉田松陰はテロリストを養成していた…教科書では書きづらい松下村塾で長州の若者に施していた危険な「教育」船に単独で乗り込んでペリーを暗殺しようとした

幕末の思想家、吉田松陰とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「松下村塾を主催し、後に明治政府をつくった優秀な人物を輩出した。ただ彼の教育には手放しでほめられない面もある」という――。「絹本着色吉田松陰像(自賛)」の肖像部分・山...
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西郷隆盛が説いた、現代でも通用するリーダーの心得『西郷南洲翁遺訓』の現代語訳&用語解説

江戸幕末、貧しい薩摩藩士の家に生まれて明治維新の立役者となった西郷隆盛。大久保利通・木戸孝允(桂小五郎)と並ぶ維新三傑の一人として、その遺業が今日に知られています。そんな西郷は自身の政治思想を人々に伝えており、庄内藩士たちがそれを書き記した...
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幕末志士・高杉晋作の生き様。彼の行動力と信念は、日本の歴史を大きく動かした

幕末の日本は、大きく変わろうとしていました。外国の圧力が高まり、幕府の力は弱まり、国全体が混乱の渦に巻き込まれていました。そんな時代に、一人の男が自らの信念を貫きながら駆け抜けていきました。それが高杉晋作(たかすぎしんさく)です。彼は、天才...
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なぜ歴代天皇は「伊勢神宮」を無視してきたのか? 消された「本当の皇祖」とアマテラスの真実

日本史あやしい話皇祖神(天皇の祖先の神)であるアマテラスが祀られている伊勢神宮。しかし明治になるまで、持統天皇を除き伊勢神宮を参拝した天皇はひとりもいなかった。じつは本来のアマテラスについては不自然な点が多く、有名な「岩戸隠れ」前後で性格が...
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【独自】「私はあの日の運転席にいた」地下鉄サリン事件から30年後の告白…客を搬送後に自身も被害に 運転士が語るオウムへの憤り【後編】

地下鉄サリン事件から30年地下鉄構内で、うぐいす色の制服の内側は汗ばんでいた。担架代わりに電車内の座席を外し、痙攣して倒れた乗客を乗せた。話しかけても反応はない。そばにいた駅員に声を掛け、協力して持ち上げ、一目散に出口へと向かった。地上へと...