共産党の不破哲三前議長 =2017年10月(酒巻俊介撮影)
共産党委員長を長く務めた党名誉役員の不破哲三(ふわ・てつぞう、本名・上田建二郎=うえだ・けんじろう)氏が30日午後1時20分、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳。葬儀は家族葬で行われ、党としての葬儀は別途執り行う。喪主は長女、上田千加子氏。
東京・中野生まれ。昭和22年に共産党入党。28年に東京大理学部卒業後、日本鉄鋼産業労働組合連合会本部書記を経て41年に共産党中央委員。44年の衆院選で国政に進出し、以後、連続10回当選した。
45年に新設された党書記局長に40歳の若さで抜擢され、57年に宮本顕治氏の後任として2代目の党委員長に就任。在任期間は通算約17年間に及んだ。平成12年に委員長を退任し、党中央委員会議長就任。15年に衆院議員を引退後、18年から党中央委員会付属社会科学研究所所長。令和6年1月の退任まで党最高指導部の常任幹部会委員を長く務め、党の理論的支柱であり続けた。

1998年10月13日、日本メガネベストドレッサー賞で各賞を受賞した(左から)西村雅彦さん、不破哲三さん、飯島直子さん、テリー伊藤さん、いしだ壱成さん =東京都内
若手時代から論客として知られ、佐藤栄作氏ら多くの歴代首相と国会で論戦を展開。委員長時代の平成10年に中国を訪問し、断絶していた中国共産党との交流を31年ぶりに再開した。同年の参院選比例代表では過去最高の819万票を獲得し、共産党の伸長に貢献した。
議長時代の16年に行った党綱領の改定に深くかかわり、それまで否定してきた「天皇制」と自衛隊の存在を事実上、当面容認するソフト化路線を打ち出した。『マルクスと「資本論」』など著書多数。政界の表舞台を去った後も講演や執筆活動、国政選挙の応援演説などを続けていた。


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