「最近、なんだか物騒になった」。そう感じている人は少なくないかもしれません。家族が家族に手にかけた事件、誰にも看取られずに亡くなる人、他人を巻き込む無理心中や無差別殺傷などの拡大自殺(extended suicide)──。そういった報道に触れるたび、治安が悪化しているような感覚を抱くのは自然なことです。
ところが、統計データを見てみると、話はそう単純ではありません。そして、その「単純ではないこと」のなかにこそ、いま日本が向き合うべき変化が隠れています。
この記事では、公的な統計データをたどりながら、「安全なはずの日本で、なぜ悲劇が減らないのか」を整理します。
日本の殺人は長期的に激減し、世界でも最低水準
まず、事実を確認しましょう。
日本国内の殺人の認知件数(警察が把握した数)は、戦後のピークだった1955年の約3,066件から下がりつづけ、近年は900件台で推移しています。
人口10万人あたりでは約0.2件(2023年は0.23件)。アメリカ(約5.3件)やフランス(約1.3件)と比べても桁違いに低く、UNODC(国連薬物・犯罪事務所)やWHOの国際統計でも、日本は世界でもっとも殺人の少ない国のひとつに数えられます。
たしかに近年はやや増加していますが、直近4年間のデータは次のとおりです。
年 殺人の認知件数
2022年 853件(ほぼ過去最低)
2023年 912件
2024年 970件
2025年 976件
2022年を底に4年連続で増加し、特殊詐欺は過去最多を更新、闇バイト強盗のニュースも絶えません。「事件が増えている」という肌感覚には、近年のトレンドとしては数字の裏づけがあります。
ただし、2025年の976件でさえ、戦後ピークのおよそ3分の1にすぎません。ここ数年の増加は過去最低を記録した2022年からの揺り戻しであり、殺人にいたるような凄惨な暴力は長い目で見れば激減した、というのが実像です。
では、私たちが感じる不安は、いったい何に由来するのでしょうか。
増えているのは「孤立のなかで起きる死」
殺人の件数だけを見ていると、大事な変化を見落とします。減少した暴力の陰で、確実に増え、そして可視化されつつある別の種類の悲劇があるからです。共通するのは、件数の多さではなく、その「かたち」です。
これらは特殊な人たち、特殊な家族の話ではありません。内閣府の全国調査(令和6年)では、孤独感が「ある」と答えた人は39.3%、およそ4割にのぼります。国も2024年4月に孤独・孤立対策推進法を施行し、社会全体で取り組むべき課題として位置づけました。
上記のような「死」については、罪名も、当事者の年齢も、きっかけもさまざまです。しかし、多くのケースに共通するのは、手遅れになるまで、誰にもSOSが届いていなかったという点です。事件や孤立死として「発覚」して初めて、周囲はその事実を知ります。本当の問題は、その手前──本人や家族が、行政にも、地域にも、近くのクリニックにも、事前につながれなかったところにあります。
背景にある個人化 ── 「迷惑をかけられない」という規範と、つながりの縮小
なぜ人は、助けを求められないのでしょうか。
相談窓口自体は整っています。地域包括支援センター、精神科クリニック、自治体の福祉課、いのちの電話──。制度は決して貧しくありません。それでも、たどり着けない人がいるのはなぜでしょうか。
背景として、大きく2つの要因が指摘できます。
ひとつは、「人に迷惑をかけてはいけない」という規範の強さです。日本では、自立を「人に頼らないこと」と捉える傾向が長く続いてきました。困っていること自体が恥だと感じられ、いちばん助けを必要とする人ほど声を上げにくい。SOSを出すことには、想像以上に精神的な負担がかかります。
もうひとつは、個人化と核家族化によって、そのSOSを受け止める「中間」的な存在がやせ細ったことです。かつては三世代同居や近所づきあいが、良くも悪くも人を丸ごと抱え込んでいました。そこには息苦しい監視もありましたが、同時に他者の視線による「気づき」もありました。誰かがやつれていること、家からたびたび怒鳴り声や大きな物音がすること、家に灯りがつかなくなったこと、子どもの姿を見なくなったこと──小さな異変を拾う網の目が、地域にはあったのです。
その網は、いまではほとんど消えました。
人は自由になった代わりに、孤立するようにもなりました。困窮や病や介護を家族という閉じた単位で抱え込み、外からは見えない。見えないから声をかけられず、声をかけられないから、当人も「相談していい」と気づけない。この循環のなかで、人は静かに追い詰められていきます。
相談窓口はあっても、孤立した人には届きにくい
ここで、「では相談窓口を増やせばよい」という結論に飛びつくと、落とし穴があります。
窓口は、困っている人が自分の足で、正しい場所を選び、勇気を出してたどり着くことを前提に設計されています。ところが、いままさに孤立している人にとっては、その前提のすべてが高いハードルになります。
事件のあとには、しばしばこの種の「あと一歩手前」が語られます。介護の負担に押しつぶされかけた家族が、支援センターの存在を知らなかった、世間体を恐れて誰にも言えなかった、「こんなことで病院に行っていいのか」と迷ううちに手遅れになった──。つまり課題は、窓口の「数」ではなく、窓口のほうから近づいていく設計、そして相談することを「特別な決断」にしないための日常的な敷居の低さにあると考えられます。
求められるのは「相談窓口の数」より「近づき方」
では、社会や個人に何ができるのか。決定的な処方箋はありませんが、方向性はいくつか示せます。
① 「弱いつながり」を見直す
濃密な共同体を復活させる必要はありません。むしろ有効なのは、あいさつ程度の、逃げ場のあるゆるい関係です。行きつけの店、月に一度の集まり、名前だけ知っている隣人。深くないからこそ人は身構えずにいられ、そのゆるさの網が異変を拾います。
②「起こる前」に社会的な投資をする
悲劇が起きてから対応する予算はあっても、起こる前に声をかける仕組みには、なかなか人もお金もつきません。訪ねていくアウトリーチ型の福祉、見守り、「聞くこと」自体を目的にした場──成果が数字に表れにくい営みを、社会がどこまで支えられるかが問われています。
③ 「頼ることは弱さではない」という前提を共有する
これは制度だけでは変えられません。自分の弱さを少しだけ人に見せること、誰かの弱さを責めずに受けとめること。その積み重ねが、「人に迷惑をかけられない」という規範を少しずつ書き換えていきます。
まとめ
最後に、この記事で取り上げたことをまとめましょう。
見えている事実
実際に起きていること
向き合うべき論点
殺人は直近4年で微増
(976件/2025年)
戦後ピークの約3分の1で、長期では激減
「増減」ではなく、悲劇の”質”の変化
孤立死22,222人
ひきこもり約80万人
孤独感4割
誰にもSOSが届かないまま起きる問題が増加
なぜ人は助けを求められないのか
相談窓口は整っている
孤立した人ほど、そこに届かない
窓口の「数」より「近づき方」
核家族化・個人化が進んだ
異変を拾う「中間」の網が消えた
ゆるいつながりをどう編み直すか
統計が示すのは、暴力が減る一方で、孤立のなかで誰にも気づかれない死が確実に増えている、という現実です。
殺人の件数を数えるだけでは、この変化は見えてきません。目を向けるべきは、事件になる前の、誰にも言えなかった長い時間のほうです。
この記事が、身近な「あと一歩手前」に気づく手がかりになれば幸いです。


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