* * *
少し前のこと。海外の会社からコンサルタントと称する日本人男性を紹介された。仮に海外の会社をA社、男性をB氏とする。B氏曰く「成功して大富豪になったのでお金は目的ではない。A社の日本マーケットを成長させましょう!」とのことだった。自分のことを大富豪と言う人がいるのだなぁと不思議に思いつつも、大して気に留めなかった。
ところが、A社と私の会社の関係上、私もB氏と関わることになるのだが、B氏が提案してきた会社(C社と呼びます。C社は私の会社から商品を買うことになる)に関する資料には目を疑った。書いてあることにあまりに現実味がないのだ。C社の代表は某国の人間国宝だとか、〇〇大学医学部卒業と記されてはいるが、「医師」とは記されていなかったりとか、某国の歴史上の人物との関係が記されていたり……煌(きら)びやかな経歴の一つひとつが事実かどうか確認できないことばかり。やばいでしょ〜!と思わず声を出して笑ってしまったのだが、ここからが大変だった。
A社の担当者がB氏を信じ切っているのである。
某国に人間国宝などない。
医学部卒業とはいうが国家資格は持っていない。
歴史上の人物と同時代に生きていたはずがない。
そう言って取引はやめるべきだとA社に伝えると、A社の担当者はあろうことかB氏に直接確認し、こういうことらしいよ、と説明してきたのだった。「人間国宝と書いたのは日本人にイメージしやすくするため。実は人間国宝より凄い」「国家資格は敢えて取らず研究者になった」「歴史上の人物にお仕えしていたのは祖父」……それでも「いやいやいや……違うだろ!」と抵抗する私に、A社の担当者は心から不思議そうにこう聞いたのである。
「何が不安なのですか? 自分を大きく見せるためにつくウソなんて誰でもやることでしょ。結果が出ればいいじゃないですか。実際、彼は優秀ですし、やることをやってくれれば問題ないです」
確かに……今の段階で彼は違法行為はしていない。結果が全てのビジネスの世界で、ビジネスを止めているのは彼のウソではなく、私の不安のほうである。なによりA社はB氏に数万ドルの契約をしているので、前に進みたいと明確な意思を表示している。でも私は「歴史上の人物」が出てきた段階で「あやしー」と感じる感性を封じ込めてまで、儲けたいとは思わない。というか儲かるわけがない。
参院特別委で皇室典範改正案が可決された=2026年7月16日午後5時47分
それでも「何が不安なのですか?」というA社の担当者に聞かれたその言葉が、頭から離れないのだ。離れないどころか囚(とら)われて、そして少しウツ気味になっている。そうか、多少のウソはビジネスにつきもので、多少のウソはお互い様、な世界なのか。世の中って、こんなところまで来ているんだね、という“諦め”という名の“ウンコ”でも投げつけられたような気持ちだ。汚くて、悲しい。
ここまで読んでくださった読者は、A社がどれだけポンコツ会社かと思うかもしれないが、そうではない。ヨーロッパに本社があり社員が700人以上いる会社で、社員は30〜40代と若く、世界各国から多種多様な経歴の人が集まっている魅力的な会社で、勢いがある。それでも、それなのに、それだからなのか、多少のハッタリなど自分アピールの一つ、くらいの強さがなければやっていけない……ということなのだろうか。グローバリゼーションの最前線で激しく競う企業としては、そんなウソなど気に留めないのが通常運転なのだろうか。
とはいえ、「真実なんてどうせわからない」「人それぞれ違う事実がある」そんな“藪の中”状態に耐性がついているのは、ビジネスの世界だけでなく政治の世界も含め、日本を含む西側諸国的な世界観なのかもしれない。終わりそうもない戦争の行方、不安が募る経済状況、そして日本の国会を見ていても、真実はどこかいつもずっと遠いところにあるような心許なさを感じる。日本の政治でいえば、高市首相の答弁や、先日秘書が国会に提出したという陳述書などに関しては、まさに客観的な事実よりも、自分が信じたいと思ったことが真実になるのだという証明を総理大臣が率先してやっている状況だ。
ウソをつく人がいるということはだまされる人がいる。それでもA社とのやりとりから学んだのは、人は自分がだまされていると認めたくないということだ。自分がだまされているのではなく、「ウソとわかっていて敢えて私は受け入れる」というアクロバティックな思考で、危機的な現実から逃避し、平常心を保とうとするものなのかもしれない。そういう人にとって、「これ、危険だよ!」と騒ぐ人の声のほうが耳障りなのだ。B氏のウソにつきあうほうが、だまされたと認め、引き返し、責任を取るよりも楽だから。みんなで一緒にだまされたほうが、楽だから。そしてたとえ結果が出ないとしても、失敗の責任は時代の流れや、景気の問題や、戦争中だから……とかいろんなふうに理由はつけられるし。ああ、B氏を高市さんに変えても意味が通りますね。
事実というものの価値がどんどん薄くなっている。
そしてやっぱり改めて思うのは、唐突だけれど皇室典範改正はすべきではなかった……ということだ。
皇室典範の改正で養子の対象となる旧11宮家の男系男子は、天皇陛下とは36〜38親等離れているという。天皇のY染色体を受け継いでいる方々……とはいうが、これはもう完全に詐欺的にはおいしい世界だ。そもそも今だって「私は旧宮家の出身で……」などという肩書で詐欺行為をするような人はいくらでもいる世界。それが、「38親等」の男性が養子縁組し、その後誕生した男子まで天皇になれる可能性が生まれたら。恐らく「私は42親等なんです」「女系の28親等です」とか、そんな肩書でいろんな活動をする意欲的な人がきっと出てくるのだろう。
事実とウソの間には、明確な断絶があったはずなのに。そう信じていた社会に生きていたはずなのに。その境界線を、権力の座にいる人たちが率先して強引に溶かす世界。本当のことに価値がなくなってきた。「見せたいもの」を見せ合って、お互いにウソとわかっていながら、やり過ごす社会。それは社会への信頼、人への敬意、言葉への信頼を失うということ。それほど恐ろしい社会は、ないと思う。


コメント