年金は自ら請求しなければ受け取れない制度です。このルールを知らず手続きを怠ると、受給権があっても消滅時効により数百万円を失う危険があります。ある男性の事例から、受給手続きに潜む「5年の壁」と、大切な年金をもらい損ねないための注意点をみていきます。
72歳男性「そんな話、聞いていない」
「ふざけるな! 俺が知らなかっただけで、360万円も消えるのか」
年金事務所の窓口で声を荒らげた、佐々木隆さん(72歳・仮名)。65歳から月14万円ほどの老齢年金を受け取り、生活をしています。
「何とか年金だけで生活できるように、工夫をしてきました。ただ最近の物価高はきついですよね」
厚生労働省『2025(令和7)年 国民生活基礎調査』によると、高齢者世帯の生活意識は「大変苦しい」が21.0%、「やや苦しい」が31.1%で、合わせて半数を超える52.1%が「苦しい」と回答しています。
同世帯の平均所得金額は336.1万円ですが、実際にはその88.2%が平均所得以下に位置しており、深刻な物価高が暮らしを直撃している実態が浮かび上がります。
さらに、高齢者世帯の平均貯蓄額は1,647.6万円と高額に見えるものの、「貯蓄がない」世帯が9.9%にのぼり、貯蓄額が「500万円〜700万円」の世帯もわずか8.1%にすぎません。一部の富裕層が平均を押し上げる陰で、平均に満たない蓄えで暮らす多くの高齢者が、常に破綻の不安と隣り合わせにあるのが実情です。
預貯金は650万円ほど。大きな出費がなければ暮らせるものの、医療費や家電の買い替えが重なれば、残高は確実に減っていきます。
そんな佐々木さんが「特別支給の老齢厚生年金」という制度を知ったのは、72歳になってからでした。
同年代の知人との会話がきっかけです。
「お前、61歳から年金をもらっていなかったのか」
そう言われても、佐々木さんにはその意味が理解できませんでした。
「年金は65歳からでしょう?」そう答えたら、「会社員だったなら違う場合がある」と言われたのです。
特別支給の老齢厚生年金は、厚生年金の受給開始年齢が段階的に65歳へ引き上げられたことに伴う経過措置です。
一定の生年月日以前に生まれ、受給資格などの条件を満たす人が対象となります。男性の場合、昭和36年4月1日以前生まれであることなどが要件です。受給開始年齢は生年月日によって異なります。
佐々木さんの場合、年金記録を確認すると、61歳から65歳になるまで受給できる可能性があったことがわかりました。
窓口で計算された本来の支給額は、4年間で約360万円。
「360万円ですか?」
佐々木さんは、職員に聞き返しました。
住宅の更新費用も、古くなった車の買い替えも、年金生活に入ってからは先送りしてきました。その360万円があれば、生活はかなり違ったはずです。
しかし、話はそこで終わりませんでした。
職員から告げられたのは、さらに厳しい説明でした。
「2025年の今からでは、すべてをお支払いできない可能性があります」
年金は自ら請求しなければ受け取れない制度です。このルールを知らず手続きを怠ると、受給権があっても消滅時効により数百万円を失う危険があります。ある男性の事例から、受給手続きに潜む「5年の壁」と、大切な年金をもらい損ねないための注意点をみていきます。
年金は「請求」しなければ受け取れない
老齢年金は、受給権が発生すればすべて自動的に支給されるわけではありません。原則として請求手続きが必要です。
日本年金機構も、受給開始年齢に達して請求しないまま5年を過ぎると、時効によって受け取れなくなる場合があるとして、早めの請求を呼びかけています。
佐々木さんが61歳から65歳までに受け取れたはずの特別支給分は、2025年にはすでに長い年月が経過していました。
年金事務所で記録を確認した結果、佐々木さんのケースでは、時効の対象となる可能性が極めて高いと説明されたのです。
「案内は送っているはずだと言われました。でも、そんな昔の郵便物なんて残っていません。そもそも、何の書類だったのか覚えていない」
佐々木さんは納得できませんでした。
「保険料はちゃんと払ってきた。それなのに、申請書を出していなかったという理由だけで、何百万円も受け取れないなんて……ありえないでしょ」
ただし、すべてのケースで5年を超えた年金が一律に失われるわけではありません。年金記録の訂正によって本来の年金額が増えた場合や、日本年金機構などの事務処理誤りが認められた場合には、時効に関する特例が適用されることがあります。
一方、単に「制度を知らなかった」「請求していなかった」という事情だけでは、救済されないケースがあります。360万円を受け取れなかった可能性に直面した佐々木さんにとって、その確認はあまりにも遅いものとなりました。

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