防衛費を増やすだけでは国は守れない…約100年前に「軍備拡大のワナ」を見抜いた人物 | きばいやんせ!鹿児島

防衛費を増やすだけでは国は守れない…約100年前に「軍備拡大のワナ」を見抜いた人物

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日本が他国から軍事攻撃を受けることに不安を感じる人、防衛費の増額に賛成する人は増えている。軍備を拡大すれば、本当に戦争は遠ざかるのだろうか。かつて、ある政治家が「外敵の脅威」が軍事予算を膨張させる仕組みと、その先に待つ危険を見抜いていた。※本稿は、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

他国から攻撃される不安が軍備増強への抵抗感を薄れさせる

 新聞通信調査会の2024年の世論調査には、「日本が他国から軍事攻撃を受ける不安をどれくらい感じるか」という項目がありました(編集部注/2024年7月~8月に実施。全国の18歳以上の5000人を対象とし、58.1%に当たる2906人が回答)。

 この問いに対する回答は、「とても不安を感じる」が21.0%、「どちらかと言えば不安を感じる」が56.7%で、8割近い77.7%の回答者が「不安」と答えました。一方、「どちらかと言えば不安を感じない」あるいは「まったく不安を感じない」と答えた人は、それぞれ18.6%と3.0%でした。

 同調査の2025年版では、同じ質問はありませんが、代わりに「防衛費の増額についてどう思うか」という質問があり、増額に「賛成」が11.8%、「どちらかと言えば賛成」が42.7%で、この2つを合計すると54.5%となり、半数を超えました。

 2024年の同調査では、この質問項目はありませんでしたが、2023年の同調査では「賛成」と「どちらかと言えば賛成」の合計が42.8%でした。

 これらの結果を見ると、今の日本では「日本が戦争を始めること」よりも「日本が外国に攻め込まれること」を心配している人が多く、そのために「防衛費の増額」も必要だと考える人の割合が、少しずつ増えているとも解釈できます。

 しかし、こうした数字をそのまま鵜呑みにするのは危険です。漠然とした「敵国に攻め込まれるかもしれないという不安」が、軍備増強への抵抗感を消し去るという心理は、過去に他の国でも繰り返された「パターン」だからです。

「外敵の脅威」を利用する軍人に尾崎行雄が鳴らした警鐘

 尾崎行雄という日本の政治家は、そうした心理の落とし穴について、1929年に上梓した『軍備制限』という著作で指摘し、警鐘を鳴らしていました。

 1890年7月1日に投票が行われた第1回衆議院議員選挙に当選し、以後63年間で連続25回当選という偉業を打ち立てた尾崎は、同書の中で、軍備に関するさまざまな問題を論じました。彼は、軍備増強を正当化する根拠として叫ばれる「外敵の脅威」が軍人によって誇張されたものである可能性を指摘し、読者に注意をうながしました。

「軍人もまた他の官吏と同じく、その管掌事務を拡張したいのは、当然の心情である。そして、その目的を達するがために、相手国に野心があることやその武備の強大さを誇張的に吹聴し、(それを)もって自国の危険を流布するようになる。そうしなければ世論を喚起して軍備に多大の経費を支出させることができないからだ。たとえ内心では、相手国より自国の方が強いことを知っていても、弱いがごとく吹聴し、世人を首肯させる必要を感じる」

 尾崎は、一般民衆が軍事的な知識に乏しいため、専門家が各種の材料を列挙して盛んに「外敵の脅威」を鼓舞すれば、それが虚偽の事実に基づいたものであっても、これを看破する力がないことを心配していました。

 そして、軍事予算を得るためになされる軍人の宣伝を一般民衆が鵜呑みにして、相手国の野心や自国の危険さを頭の中で想像し膨らませ、「いかなる困苦を忍んでも、軍備充実に必要なる経費だけは支出しようという心理状態になる」と、尾崎は警告しました。

 帝国議会の衆議院議員だった尾崎は、諸外国の政治と軍事、国民と軍事の関係についても幅広い知見を有しており、軍人が自国民をだまして軍備予算の増大を呑ませるという図式も見抜いていました。彼の警鐘は、97年後の我々にもリアルに響いてきます。

戦争を正当化するプロパガンダの10原則

 特定国の政府や国民が、何らかの理由で隣国との戦争を始めたいと考えた時、同調者を増やす目的で広められるのが、「外部の侵略者やその脅威から、わが国の平和を守るために戦う」という、単純な図式の物語です。

 これは、受け手の論理的思考よりも、むしろ感情や情緒の思考にアピールした方が効果的で、賛同した人間がさらに別の人間に広めていくという波及効果も期待できます。

 イギリスのアーサー・ポンソンビーという政治家は、1928年に上梓した著書『戦時の嘘』の中で、古今東西の権力者が新たな戦争を扇動したり、自国の行っている戦争を正当化する際に用いるプロパガンダ(政治宣伝)の手法を分析しました。

 彼は、そこに共通する「論理」の構造を読み解き、以下の10項目に整理しました。

(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
(アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』永田千奈訳、草思社)

 受け手を「戦争を受容する思考」へと誘う、この種の誘導的論理は、すでに始まった戦争を正当化する場合だけでなく、将来に起こりうる戦争を意図的に近づける、あるいは大きな「炎」となって燃え上がる前の「戦争の火種」をくすぶらせる時にも使われます。

 油断していると、新聞やテレビ、ネットなどが日々報じるニュースによって、あるいはSNSや動画投稿サイトの情報によって、こうした「戦争正当化の論理」が心の中に少しずつ刷り込まれる可能性があります。それが成功すれば、国民は政治指導者が掲げる戦争肯定の大義に疑問を抱かず、自発的に「外敵との戦い」に参加することになります。

巨額の予算をつけるだけで「状況が改善した」と錯覚する

 外国の脅威が高まると、自国政府が決めた軍事費の増大への抵抗感がなくなる。むしろ、軍備を増強することで「国の安全が高まった」かのような安心感を得る。尾崎行雄が指摘したこれらの心理は、自然な感情であるかのように思える一方で、人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬という面もあることに注意が必要です。

 人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬とは、何らかの不安を感じた時に、目に見える「成果らしきもの」があれば「状況が改善したかのような心境」になるというものです。

 例えば、出生率の低下という「少子化」対策の事業に、政府が数百億円の予算を配分したとします。本来なら、数年後にデータを検証して出生率が改善されていれば、その予算配分と政策は「成功した」ことになります。けれども実際には、政府が数百億円の予算を「配分した時点」でメディアが大きく取り上げて宣伝することで、実際の成果がまだ確認されていなくても「状況が改善されたかのようなムード」が創り出されます。

 その数百億円の予算の使い道が、誰も手に取らない啓発チラシや、誰も観ていないネット動画の製作費なら、少子化対策という目的への貢献度は無いも同然でしょう。これが、人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬の実例です。

 軍備の場合も同様で、毎年巨額の予算が軍事費に投入されれば、実際の効果が検証されなくても、その「巨額の予算配分」という事実が「状況改善の錯覚」を生じさせます。

 1936年から1937年にかけて帝国議会で審議され、採決された「軍事費偏重予算」は、日本を戦争から遠ざける効果を持たず、むしろ陸軍や海軍の上層部による自国の軍事力への過信というマイナス面を生み出しました。

 軍事費を増やして新型兵器を大量に装備すれば、自動的に国の安全が高まる、という単純な話ではないのです。予算であれ何であれ、間違った方策にリソース(資源)を投入すれば、状況の改善に繋がらないどころか、何もしない方がましという場合もあります。

経済力に見合わない軍備は国を守るどころカ国を弱らせる

 では、軍事費のバランスが健全かどうかは、どんな基準で判断すべきでしょうか?

『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』書影
戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(山崎雅弘、朝日新聞出版)

 尾崎は、前記した『軍備制限』の第6章を「過大な軍備は亡国の本源」と題した上で、軍備と経済力の関係について、次のように書いています。

「軍備の多寡大小は、その国の環境と経済力によって決定すべきものである。(略)経済力以上の軍備は、戦わずしてその国の寿命を短縮し、そのはなはだしきに至っては、これを滅亡させることもある。ゆえに一国の軍備は、いかなる場合においても、原則としては、その経済力に適応しなければならぬ。経済力以上の軍備は、国防の用をなさず、かえって亡国の原因となる」

 この本が刊行されてから10年も経たずに、日本は尾崎が危惧した道を進み、経済力以上の軍備を持ったことで自信過剰に陥り、「力」を過信して亡国の末路をたどりました。

 我々は、その轍を踏まずに未来へと進むことができるでしょうか。

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