ジャンボ尾崎さん死去、甲子園優勝投手でプロ野球から転向し開花…シニアツアーに出場せず51歳で賞金王 | きばいやんせ!鹿児島

ジャンボ尾崎さん死去、甲子園優勝投手でプロ野球から転向し開花…シニアツアーに出場せず51歳で賞金王

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ティーショットを放つ尾崎将司さん(2010年6月24日)

 「ジャンボ」の愛称で日本のゴルフ人気の立役者となった尾崎将司さんが23日、亡くなった。

 甲子園の優勝投手で、プロ野球から転向したという異色の経歴だが、真の才能を開花させたのは、ゴルフ転向後だった。1970年に23歳でプロテストに合格すると、翌71年9月には日本プロ選手権で早くも初優勝。1メートル81の当時としては長身と圧倒的な身体能力で驚異的なドライバーの飛距離を生み出し、ゴルフ界に革命を起こすと同時に、青木功、中嶋常幸とともに「AON」時代を築き、国内のゴルフブームを 牽引けんいん した。

 ツアー制が導入された73年に初代賞金王となると、94~98年の5年連続を含む12度の賞金王に君臨。特筆すべきは、40歳を過ぎてから9度の賞金王に輝いたことで、98年にはシニアツアーにも出場可能な51歳で賞金王に輝き、プロスポーツ選手の全盛期の年齢的な概念を覆した。

 96年のダンロップフェニックスでは、前人未到のプロ通算100勝を達成。2002年の全日空オープンでは55歳のツアー最年長優勝記録を樹立した。その後は持病の座骨神経痛に悩まされながらもレギュラーツアーにこだわり続け、最後までシニアツアーには出場しなかった。

 1988年には暴力団との交際が表面化。2005年には民事再生法の適用を申請するなど、ゴルフ以外でのトラブルもあったが、実弟の健夫、直道両選手や賞金王に輝いた飯合肇選手ら、「ジャンボ軍団」を結成して多くのプロを育て、クラブや技術理論にも詳しかった。後進の指導にも熱心だった。

 最多年間優勝(8勝)、最多連続優勝年数(15年)、最多連続優勝(3週)など、保持する記録は数知れない。記録にも記憶にも残る不世出のゴルファーだった。

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